射楯兵主神社(兵庫県姫路市)

曖昧な記憶で参拝を振り返る

仕事で兵庫県を訪れた際に参拝。

神戸市で予定していた仕事が中止になったため、兵庫縣姫路護國神社を参拝し、もう1社近くの神社を参拝しようと思って立ち寄ったのが「射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)」です。

あまり記憶が残っていないのですが、恐らく姫路城に登った上に既に兵庫縣姫路護國神社を参拝していたので、けっこう体力が限界に来ていたのだと思います(笑)

射楯兵主神社

射楯兵主神社の楼門

「射楯兵主神社」は播磨国(現在の兵庫県南西部)の総社にあたる、由緒ある神社です。

当時は「一宮」とか「総社」などの社格は気にしていなかったので「射楯兵主神社」がどのような神社なのかはあまり気にしていなかったと思いますが、今にして思えばもう少しちゃんと見て回れば良かったかなと思っています。

(しかもこの日の写真は全体的になぜか暗いので、だいぶ加工しています)

射楯兵主神社

射楯兵主神社の拝殿

参拝の後、御朱印を頂きました。

射楯兵主神社の御由緒

総社について

古代の日本は「祭政一致」という制度により、祭祀と政治が国家によって一体化されていました。

それに伴い朝廷から地方へ派遣される国司は、赴任の際に各律令国内の全ての神社を巡拝するという役割がありました。

実際に全ての神社を巡るのは時間も労力もかかるため、効率化するために国内の全ての神様を合祀した神社を設けました。これが「総社」のはじまりです。

「射楯兵主神社」は、播磨国の総社になります。

起源と歴史について

「射楯兵主神社」の起源は、欽明天皇25年(564年)、飾磨郡伊和里水尾山(現在の姫路市山野井町)に大己貴命(兵主神)を祀ると伝えられています。

927年に編纂された「延喜式神名帳」には「小社射楯兵主神社」と記載されており、この頃までには射楯神が合祀されていたことが分かります。

養和元年(1181年)、播磨国内の174座の大小明神社を合祀し、「播磨国総社」と改称します。

天正9年(1581年)、羽柴秀吉が姫路城を築城するのに伴い、現在地に遷座されています。

江戸時代に入ると歴代の姫路藩主から崇敬を受けており、藩主の「池田輝政」や「本多忠政」などから社殿の造営・宝物の奉献などがされています。

昭和20年(1945年)、戦災により社殿や宝物などが焼失し荒廃してしまいますが、昭和28年(1953年)に再建されました。

射楯兵主神社では、60年に1度「一ツ山大祭」、20年に1度「三ツ山大祭」が執り行われます。

御祭神について

御祭神は「射楯大神(いたてのおおかみ)」と「兵主大神(ひょうずのおおかみ)」。

「射楯大神」は、別称「五十猛命(いそたけるのみこと)」。素戔嗚尊の御子神で、新羅に渡った後に樹種を持ち帰り、全国に植林したと伝えられる植樹の神様です。

「兵主大神」は別称「大己貴命(おおなむちのみこと)」、つまり「大国主神」のことです。

射楯兵主神社の御朱印

射楯兵主神社の御朱印

射楯兵主神社の御朱印

射楯兵主神社の概要

神社名
射楯兵主神社
主な御祭神
射楯大神(いたてのおおかみ)
兵主大神(ひょうずのおおかみ)
社格等
古代社格 
式内社(小社)
中世社格 
播磨国総社
近代社格 
県社
現在の分類
神社本庁(別表神社)
主な境内社
東播総神殿
西播総神殿
恵美酒社
住吉社
琴平社
姫道天神社
長壁神社
祖霊社
案内社八幡宮 など
鎮座地
兵庫県姫路市総社本町190
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駐車場の有無
有るとのこと(私は姫路城の大手門駐車場に停めました)
御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
平成28年11月28日
地図