【神社巡り】備後護國神社(広島県福山市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

令和5年7月20日の参拝

仕事で広島県福山市を訪れた際に参拝。この頃の私は仕事の関係で広島県内の色々な所を回っていました。

特にこの数日は福山市を中心に回っており、この日は福山駅の近くが現場だったので駅近くの「備後護國神社(びんごごこくじんじゃ)」を参拝する事にしました。

備後護國神社
備後護國神社の鳥居

「備後護國神社」は「福山城」の北側に鎮座しています。西側の参道から参拝しましたが、実際に目にしてみると境内地かどうかは分かりませんが広い。

備後護國神社
神門。手前はだいぶ原っぱです

「備後護國神社」は、かつての内務大臣指定護国神社の一社で、国家のため殉じられた備後出身の英霊をお祀りしています。

備後護國神社
神門を近くから

神門をくぐり階段を登ると本殿が見えます。

もともとは、「阿部神社(あべじんじゃ)」の境内地で、「備後神社(びんごじんじゃ)」と合祀・合併して「備後護國神社」となっています。

備後護國神社
拝殿

「阿部神社」は福山藩阿部家の祖神と歴代藩主をお祀りした神社で、現在は「備後護國神社」の境内社となっています。

備後護國神社
拝殿を別角度から

「安政の改革」を行った老中「阿部正弘」も御祭神の一柱です。

備後護國神社
7代目藩主で老中「阿部正弘」の像

拝殿にて参拝し、南側の参道から帰ります。

途中に「宮本武蔵腰掛石」という石があります。

江戸時代初期、宮本武蔵は大阪夏の陣に参戦しており、のちの福山藩主「水野勝成」の陣に属していました。

夏の陣の後に武蔵が福山城を訪れた際、水野家の家臣が武蔵を屋敷に招待(武蔵の子が家臣の養子になっていた縁で)、その時に腰かけた庭石とされています。

その後水野家は藩主が相次いで急死、跡継ぎがいなくなり改易。阿部家が福山藩に入り屋敷も阿部家家臣のものとなりますが、明治時代になり廃藩置県で屋敷を引き払う際に阿部神社に寄贈されたそうです。

備後護國神社
宮本武蔵腰掛石

南側の参道から階段を降りると社務所がありましたので、御朱印を頂きました。

備後護國神社
南側の神門

「備後護國神社」は「福山城」のすぐ近くに鎮座しているので、ついでに「福山城」にも行ってみました。

備後護國神社
福山城

福山城は2022年に築城400年を迎え「令和の大普請」として天守の復元工事等が行われたばかりでした。

なかでも特徴的になのが北側の黒い外壁。これは北面の防備を強化するため、鉄板を一面に貼ったものを復元しています。

備後護國神社
福山城を別角度から

遠足に来ていた幼稚園児にまぎれてお城を眺めていました。

備後護國神社の御由緒

「備後護國神社(びんごごこくじんじゃ)」は昭和32年(1957年)、「備後神社(びんごじんじゃ)」と「阿部神社(あべじんじゃ)」が合併して設立された神社です。

現在の境内地や本殿は阿部神社のものです。

元備後神社の御由緒

「備後神社」の創建は明治元年(1868年)、旧福山藩10代藩主「阿部正桓(あべまさたけ)」が「石見国益田の戦」「函館戦争」の戦死者40柱の英霊を深津郡吉津村(現在の福山市北吉津町)の「福山八幡宮」境内に「招魂社」を創立しお祀りしたのがはじまりです。

以後国家に殉じられた備後出身の英霊が祀られています。

明治26年(1893年)には福山公園(現在の福山城跡)に遷座し、明治34年(1901年)に「官祭福山招魂社」に改称。

昭和14年(1939年)、内務大臣指定護国神社となり「福山護國神社」に改称。

昭和15年(1940年)から福山市沖野上町に約2万坪の社殿建立の工事が進めれていましたが、昭和20年(1945年)の福山大空襲により焼失。

第二次世界戦後はGHQの神道指令により「備後神社」と改称し、福山城跡の一角に祀られていました。

元阿部神社の御由緒

「阿部神社」の創建は文化9年(1812年)、福山藩8代藩主「阿部正精(あべまさきよ)」により久松城(福山城)北に阿部家の祖霊を祀る「勇鷹神社(いさたかじんじゃ)」を建立したのがはじまり。

明治10年(1877年)、「阿部神社」に改称。

「備後神社」と合併後は「備後護國神社」の境内社となっています。

御祭神について

御祭神は備後国出身の英霊のほか、第8代孝元天皇の第一皇子で福山藩主阿部家の祖にあたる「大彦命(おおひこのみこと)」、その御子神「武沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)」、更にその御子神「豊幹別命(とよからわけのみこと)」と歴代の福山藩主です。

歴代藩主の中には「安政の改革」を行った老中首座「阿部正弘(あべまさひろ)」も含まれます。

備後護國神社の御朱印

備後護國神社の御朱印

備後護國神社の御朱印

阿部神社の御朱印

阿部神社の御朱印

備後護國神社の概要

神社名
備後護國神社
主な御祭神

(元備後神社)維新の国難で亡くなられた英霊や幾多の戦役や日清・日露から第二次世界大戦に至るまで国家のため殉じられた郷土の英霊3万1,000余柱

(元阿部神社)大彦命(おおひこのみこと)第8代 孝元天皇の第一皇子で福山藩主阿部家の遠祖 武沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)大彦命の御子神 豊韓別命(とよからわけのみこと)武沼河別命の御子神 阿部正勝ほか阿部家歴代藩主

社格等
近代社格 
県社
現在の分類
別表神社
その他分類
内務大臣指定護国神社
鎮座地
広島県福山市丸之内1-9-2
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御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
令和5年7月20日
地図

駐車場について

参拝者用駐車場の有無については不明ですが、付近に福山城駐車場(有料)やコインパーキングがあります。