【神社巡り】太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
福岡県に出張した際、福岡県太宰府市の太宰府天満宮へ参拝し、御朱印も頂きました。
平成26年5月、福岡県の筑紫野市、駅で言うと二日市の近くに出張しまして、出張最終日、帰宅前に滞在先のホテルから太宰府天満宮まで寄り道しました。
キャリケースを引きながら二日市駅まで歩き、そこから西鉄電車に乗って太宰府まで移動しました。
西鉄太宰府駅付近に到着すると、当時は大河ドラマ「軍師官兵衛」放送中でしたので、こんな感じでのぼりが立っていました。
右は境内にある官兵衛ゆかりの眼薬の木。官兵衛の祖父黒田重隆が、目薬の木から目薬を作り、それで財を築いたと言われています。
西鉄太宰府駅を降りるとすぐ参道があります。太宰府名物「梅ケ谷餅」の販売店や新国立競技場の設計で有名な「隈研吾」氏が設計したスターバックスコーヒーなど色々あります。
太宰府天満宮といえば学問の神様で有名で、毎年受験シーズンが近づくと学業成就で多くの参拝客が訪れますが、今回の参拝は5月だったのでそれほど参拝客はいませんでした。
上の写真が今回(5月)の参拝で、下が2011年の12月に参拝した際の様子です。さすがに12月となると受験生とかその家族が多かったです。
5月の太宰府天満宮の様子
12月の太宰府天満宮の様子
神社周囲には九州国立博物館や遊園地などが隣接しており、神社以外にも散策が楽しめました。
参拝を終え、御朱印も頂きご満悦になっていましたが、ホテルに領収書を貰うのを忘れていたため、また西鉄に乗って二日市までもどり、再びキャリーケース引きずりながらホテルまで戻ったという出来事を思い出します。
太宰府天満宮の御由緒
御祭神は菅原道真公。道真公は平安時代の政治家で非常に優秀な人材でしたが、優秀であるが故に目の上のたんこぶ的な上司(左大臣:藤原時平)に謀られ、都から九州太宰府に左遷させられる事になります。
そして、太宰府の地で亡くなったのですが、道真公の死後、藤原時平が急死・疫病の流行や異常気象の発生など、不吉な事が続きました。
これを「道真のたたり」と恐れられ、魂を鎮めるために延喜19年(919年)に道真公の墓所の上に社殿が創建されました。
それでも「たたり」は収まらず、宮中に雷が落ち貴族が亡くなったり、醍醐天皇や皇太子が相次いで亡くなったりしたため、本来は天皇・皇族を祀る神社の社号「天満宮」が使われるようになったそうです。
太宰府天満宮は、北野天満宮・防府天満宮と合わせて「三天神」と言われていますが、防府天満宮については他の天満宮に変えられる説もあります。
太宰府天満宮が創建された地については、道真公が亡くなった後、その御亡骸を牛車に乗せて葬送しようとした所、牛がその地で伏して動かなくなってしまい、これを道真公の御遺志として、その地に埋葬されることになったと言われています。
菅原道真公は学問の神様として慕われており、学業成就・合格祈願で毎年多くの参拝客が訪れます。
太宰府天満宮の御朱印
太宰府天満宮の御朱印
太宰府天満宮の概要
- 神社名
- 太宰府天満宮
- 主な御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)平安時代の貴族。死後「天満大自在天神(天神さん)」と称され、学問の神様として全国の天満宮で祀られている。
- 社格等
- 鎮座地
- 福岡県太宰府市宰府4-7-1
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 平成26年5月29日
- 地図
駐車場について
公共交通機関で参拝したため詳細は不明ですが、参拝者用の駐車場は無さそうです(付近にパーキングはあるようです)。