【神社巡り】広島東照宮(広島県広島市東区)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

令和3年2月16日の参拝

令和3年の2月に「広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう)」を参拝しました。

「東照宮」ですので、御祭神は「徳川家康公」です。

こちらの神社を参拝した理由は少々特殊なのですが、あまり細かく書くと個人情報に抵触しそうなので伏せておきます。

「カープがらみ」で祈願したい事があった、とだけ言っておきます。

広島東照宮
広島東照宮の拝殿

という訳で、急いで「広島東照宮」へ参拝して急いで帰ったため、写真も1枚しかありませんでした。

この辺りの地区は大きめの神社がいくつか鎮座していますので、一帯も含めてゆっくり参拝したいと思っています。

令和6年6月29日の参拝

この日は、広島駅の近くで仕事があり、JRで広島駅まで行きました。

駅ビルの中でランチを食べようと思ったのですが、以前広島駅に行った時にあまりにも人が多くてどこのお店も行列が出来ていたので、早めに行って食べる事にしました。

その結果、仕事が13時からなのに対して駅に到着したのが11時。ランチを食べるのに待つ必要が無かったのは良いのですが、食べ終わっても11時30分くらい。まだ1時間30分くらい余裕があります。

そういう訳で、時間調整で広島駅から歩ける範囲の「広島東照宮」を参拝する事にしました。

前回の参拝ではサッと済ませたので、もう少しじっくり散策してみる事にしました。

広島東照宮
鳥居。奥に見えるのが唐門・翼廊

「広島東照宮」と言えば、広島駅新幹線口から見える赤い唐門と左右に伸びる翼廊(広島市の重要文化財)が印象的です。

広島東照宮
唐門・翼廊

近くに行って分かったのですが、唐門には彩色された彫刻が施されており、なんとなく「日光東照宮」を思い出しました。

広島東照宮
唐門を近くから

唐門をくぐると拝殿が見えます。

広島東照宮
拝殿

境内には本地堂もあり、御祭神の「徳川家康」の本地仏は薬師如来なのだそうで、明治に入るまでは薬師如来が祀られていたそうです。

明治時代に神仏分離が行われていますが、数少ない遺構だそうです。

広島東照宮
本地堂。慶安元年(1648年)の造営

拝殿にて参拝ののち、御朱印を頂きました。

前回訪問時は御朱印は手書きの1種類と記憶しているのですが、今回は書き置きながら境内社の「金光稲荷神社」を含めて4種類がありました。

広島東照宮の御由緒

「広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう)」は広島駅の北側「二葉の里」地区に鎮座しています。

二葉山山麓の高台にあり、広島駅の新幹線口からも社殿を見る事ができます。

創建は慶安元年(1648年)、広島藩2代目藩主の浅野光晟公によって広島城の鬼門にあたる二葉山の山麓に造営されたそうです。

「徳川家康公」を祀る東照宮が全国各地に創建される中、光晟公の母は家康公の三女(振姫)に当たるため、特に熱心に造営されたそうです。

昭和20年(1945年)、原子爆弾が投下され、爆心地から約2kmも離れているにも関わらず社殿等の多くが焼失したそうです。

現在の社殿は昭和40年(1965年)家康公の薨去後350年を記念して再建されたものだそうです。

寛文6年(1666年)の家康公50年忌に「通り御祭礼」が行われ、それ以来50年ごとに祭典が挙行されているそうです。

文化12年(1815年)移行中断されていましたが、平成27年(2015年)10月に200年ぶりに「通り御祭礼」が挙行されました。

広島東照宮の御朱印

広島東照宮の御朱印

広島東照宮の御朱印

広島東照宮の御朱印

広島東照宮の御朱印

広島東照宮の概要

神社名
広島東照宮
主な御祭神

主祭神東照大権現(とうしょうだいごんげん)「徳川家康公」の神号

主な摂末社
御産稲荷社
福禄寿
祖霊社
金光稲荷社
金光稲荷社(奥宮)
鎮座地
広島県広島市東区二葉の里2-1-18
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御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
令和3年2月16日、令和6年6月29日
地図

駐車場について

参拝者用の無料駐車場があります(神社入って左側すぐの区画)。
(正月3が日は駐車場を閉鎖しているそうです)