【神社巡り】和気神社(岡山県和気郡和気町)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
岡山県備前市を仕事で訪れ、次の仕事までの合間にまず「田倉牛神社」を参拝しました。
さらにまだ時間に余裕があったので、次の仕事の目的の途中にある「和気神社(わけじんじゃ)」を参拝することにしました。
「和気」と言えば日本史にも出てきた「和気清麻呂(わけのきよまろ)」が連想され、清麻呂に縁の深い神社であろうことは想像できました。
実際に御祭神は「和気清麻呂公」で、これは予想していませんでした。
広い駐車場に車を停めて鳥居をくぐります。ちょうど季節は桜の時期なので、境内の桜もよい具合に咲いていました。
そして橋を渡ると清麻呂公像がお出迎えして下さいました。
「和気清麻呂」と言えば奈良時代に起こった「宇佐八幡宮神託事件」。
当時の天皇は第48代「称徳天皇(しょうとくてんのう)」、女性の天皇です。
「称徳天皇」の病を治したことがきっかけでその寵愛を受けた僧侶が「道鏡(どうきょう)」と言います。
宇佐八幡宮の神主が「道鏡を皇位につかせれば天下は安泰になる」という神託を奏上し、「道鏡」を皇位に就かせようとします。
その際に「称徳天皇」から「宇佐八幡宮」へ派遣を命じられたのが「和気清麻呂公」になります。
「宇佐八幡宮」に到着した清麻呂が「この国は今まで皇族から天皇を立てており、臣下が天皇になったことはない。必ず皇族から天皇を立てよ。無道な者は早く排除すべき。」という神託を受け、これを持ち帰ります。
「称徳天皇」はこれを聞いて激怒し、清麻呂を大隅国(現在の鹿児島)へ左遷。この時「道鏡」は清麻呂を暗殺しようと企みますが失敗に終わります。
その後、「称徳天皇」が崩御し後ろ盾を失った道鏡は失脚。清麻呂も都へ呼び戻されます。
「道鏡」が清麻呂の暗殺を企てた際、清麻呂は足の腱を切られて歩けなくなってしまいます。
するとどこからか300頭の猪が現れて清麻呂の周りを囲み、清麻呂を守りながら道を先導したという伝説があります。
そんな伝説から、和気神社には全国的に珍しい「狛いのしし」が置かれています。
また、神社の近くには100種類の藤が集められた立派な「藤公園」がありますが、私が訪れた時は若干早かったので、藤はまだ咲いていないようでした。
参拝をした後、御朱印を頂きました。
和気神社の御由緒
和気町は豪族「和気氏」の発祥の地で、御祭神の「和気清麻呂公」の生誕地でもあります。
創建は不明、もともと和気氏の遠祖「鐸石別命」を氏神として祀っていたのが起源です。
天正19年(1591年)、別の場所にあった社殿が大雨で流され、現在地に遷座されました。
明治時代になるとその他の和気氏の祖先が合祀されます。和気清麻呂公以下、御祭神は和気氏の一族になります。
清麻呂公を助けた猪が霊泉を案内し、歩けなくなった脚が霊泉の力で治ったことから「足腰の神」として足腰の健康に御神徳があるとされています。
和気神社の御朱印
和気神社の御朱印
和気神社の概要
- 神社名
- 和気神社
- 主な御祭神
鐸石別命(ぬでしわけのみこと)第11代 垂仁天皇の皇子。和気氏の始祖 弟彦王(おとひこおう)鐸石別命のひ孫。軍功により備前国藤野郡(現在の岡山県和気郡)を賜り土着 和気清麻呂公(わけのきよまろこう)奈良~平安時代の貴族。「宇佐八幡宮信託事件」で国家の危機を救う 和気広虫姫(わけのひろむし)和気清麻呂公の姉で称徳天皇に仕えた女官。孤児83名を養子として育てる 佐波良命(さわらのみこと)和気氏の先祖で備前国・美作国の国造。 伎波豆命(きはずのみこと)和気氏の先祖で備前国・美作国の国造。 宿奈命(すくなのみこと)和気氏の先祖で備前国・美作国の国造。 乎麻呂命(おまろのみこと)和気氏の先祖で備前国・美作国の国造。
- 社格等
- 鎮座地
- 岡山県和気郡和気町藤野1385
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- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 平成29年4月10日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。