【神社巡り】中山神社(岡山県津山市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和5年8月30日の参拝
8月31日~9月1日にかけて、鳥取県南東部~北西部にかけて仕事をしましたので、その合間に何社か神社を参拝して来ました。
もともと鳥取県に行く予定は無かったのですが、現地対応予定のスタッフがコロナに罹患してしまったらしく代替人員が必要と連絡が来ました。
たまたまこの辺りは休みにしていたので快諾。
初日は鳥取県智頭町での仕事だったので前日にホテルを取っておきたいのですが、智頭町にホテルがあるかどうか分からない。
そのため、岡山県北東部の津山市でホテルを取りました。
前日移動なので、この日は移動だけ。なので津山界隈の神社を参拝しました。
まず訪れたのは「中山神社(なかやまじんじゃ)」。美作国の一宮で旧国幣中社でもあります。
本殿までの参道はけっこう長いです。途中に牛の像がありましたので、菅原道真公とも関係あるのかな?
参道を進むと神門があります。津山城が廃城した後に移築されたそうで、津山市の重要文化財に指定されているそうです。
本殿は国の重要文化財に指定。戦国大名の「尼子晴久(あまごはるひさ)」によって再建されたものだそうです。
本殿参拝の後は境内社を回ります。
「猿神社」が本殿裏の林の中にあるのですが、「蛇に注意」という看板を見てしまい躊躇したあげく断念。
その昔「中山神社」には女性をさらう猿が住んでいて、猿退治をしたという伝説も残されています。現在は「猿田彦神」として祀られているそうです。
境内社の情報
神社名 | 猿神社 |
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御祭神 | 猿田彦神 |
由緒等 | 「今昔物語集」に猿退治の伝説が残る |
その他、「総神殿」が鎮座、こちらは120社を合祀したものだそうです。
境内社の情報
神社名 | 総神殿 |
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御祭神 | 山上山下120社を合祀 |
由緒等 | 戦国時代に焼失したものを合祀し再建 |
参拝の後は御朱印を頂いて、次の目的地へ移動しました。
中山神社の御由緒
創建は慶雲4年(707年)。貞観6年(864年)には官社に列格、「延喜式」では美作国唯一の明神大社に列格しています。
平安時代に編纂された「今昔物語集」や鎌倉時代の絵巻物「一遍上人絵伝」には「中山神社」に関する記述があるほど、広く名前が知られていました。
元寇の際などには、勅命により国家案穏を祈願する一宮7社のうちの1社に選ばれていたそうです。
戦国時代に戦乱に巻き込まれる形で社殿が焼失。その後、永禄2年(1559年)に大名「尼子晴久(あまごはるひさ)」によって再建。
明治4年(1871年)、近代社格制度によって国幣中社に列格。第二次世界大戦後に社格制度が廃止され現在に至ります。
御祭神は主祭神「鏡作神(かがみつくりのかみ)」をはじめとする鏡作部の祖神。「鏡作神」は、三種の神器の一つ「八咫鏡」を鋳造した「石凝姥神(いしこりどめのかみ)」の神業を称えた御名とのことです。
中山神社の御朱印
中山神社の御朱印
中山神社の概要
- 神社名
- 中山神社
- 主な御祭神
主祭神鏡作神(かがみつくりのかみ)古代日本で鏡の製作に従事した「鏡作部」の祖神である石凝姥神の神業を称えた御名
相殿神石凝姥神(いしこりどめのかみ)三種の神器の一つ「八咫鏡」を造った神 天糠戸神(あめのぬかどのかみ)石凝姥神の父神
- 社格等
- 神階
- 正三位
- 主な摂末社
- 総神殿
国司社
御先社
猿神社
- 鎮座地
- 岡山県津山市一宮695
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和5年8月30日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。