【神社巡り】素盞嗚神社(広島県福山市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和5年7月21日の参拝
仕事で広島県福山市を訪れた際に参拝。この頃の私は仕事の関係で広島県内の色々な所を回っていました。
特にこの数日は福山市を中心に回っており、この日は福山市を代表する神社の一社「素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)」を参拝する事にしました。
「備後吉備津神社」と同様にかつての備後国一宮でした。
北側の駐車場に車を停めて鳥居のある東方面へ道路を歩きます。
その途中、門と狛犬を発見。この門はどうやらもともとは城の門だったそうで、「豊臣秀吉」の山城禁止令により移築されたものだそうです。
東側の参道に到着。ここから境内へ進んでいきます。
手水舎で手を清めるのですが、この手水鉢も歴史があるというか龍の彫刻も立派でした。
さて、こちらの「素盞嗚神社」、その名前のとおり御祭神は「素盞嗚尊」とその御后神「奇稲田姫命」と御子神八柱の総称「八王子」をお祀りしています。
神社の案内によると、「素盞嗚尊」は仏教の守護神「牛頭天王」や暦においては「天道神」と同一視されているようです。
「素盞嗚尊」を祀る祇園信仰といえば神仏習合の影響の強い信仰ですし、「素盞嗚尊」「八王子」「暦の神」という説明で以前参拝した京都の「大将軍八神社」が思い出されました。
ハッキリとは書かれてありませんでしたが、「大将軍八神社」同様に陰陽道の影響も受けた神社かと思われます。
さらに「素盞嗚神社」は「祇園祭」発祥の神社と言われています。祇園祭と言えば日本三大祭の一つで京都の「八坂神社」の祭礼で有名ですが、当神社から兵庫・姫路・京都と勧請され、「八坂神社」が創建されたとも言われています。
こちらの祇園祭も「けんか神輿」が有名で、地元のローカルニュースでも報道されていました。
私が参拝したのが祇園祭が終了して数日後でしたので、拝殿まわりにその名残が感じられました。
本殿参拝に続いて境内社を参拝。
まずは「戸手天満宮」。その名のとおり「菅原道真公」をお祀りしていますが、神仏分離の前までは「素盞嗚尊」の本地仏である「聖観世音菩薩」の像が祀れた「本地堂」なのだそうです。
続きまして「蘇民神社」と「疱瘡神社」。
「蘇民神社」は、「素盞嗚尊」が旅をしていた時に宿を提供し温かくもてなした「蘇民将来(そみんしょうらい)」をお祀りしています。
後に「素盞嗚尊」から茅の輪を授かることで疫病から免れ、これが「茅の輪くぐり神事」の発祥となったと伝えられています。
「疱瘡神社」の御祭神は「比比羅木其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまづみのかみ)」。疫病防除のためお祀りされたそうです。
参拝の後は社務所で御朱印を頂いて帰宅しました。
素盞嗚神社の御由緒
御由緒について
創建は天武天皇の御代(673~686年)、醍醐天皇の御代(897~930年)に再建されたと伝えられています。
奈良時代初期に編纂された「備後国風土記」に「疫隅國社(えのくまのくにつやしろ)」という記述があり、これは「素盞嗚神社」とされています。当時この辺りは「疫隈(江ノ隈)」と呼ばれていたそうです。また、「延喜式神名帳」に記載されている「須佐能袁神社」は「素盞嗚神社」のこととされています。
神仏習合の影響で、古くは「祇園社」「天王社」「江熊祇園牛頭天王社」と称していましたが、明治時代に入ると神仏分離令により仏教的要素が排除され「素盞嗚神社」に改称されます。
また、境内社の「天満宮」はもともとは本地仏を祀る「本地堂」として社殿が建立されましたが、神仏分離令により天満宮と改められました。
「沼名前神社(広島県福山市)」「小童須佐神社(広島県三次市)」と共に「備後三祇園」の一社とされています。
御祭神について
御祭神は「素盞嗚尊」、その御后神「稲田姫命」、その八柱の御子神を総称した「八王子」です。
「素盞嗚尊」は神仏習合により仏教の神「牛頭天王(ごずてんのう)」と同一視され、同様に本地垂迹説(神は仏が人々を救うために現れた仮の姿とする説)により「聖観世音菩薩」を本地仏とされていました。
また陰陽道における「天道神」は「牛頭天王」と同一視されており、同様に「素盞嗚尊」とも同一神とされてました。
素盞嗚神社が発祥とされる祭事・神事
「素盞嗚神社」は「祇園祭」発祥の神社と言われています。
祇園祭が開始された時期は不明ですが、疫病防除の儀式「御霊会」が祇園信仰に繋がり、この信仰が兵庫・姫路・京都へ伝播したと考えられています。
奈良時代の学者「吉備真備(きびのまきび)」により播磨国(兵庫県姫路市)の「広峯神社(ひろみねじんじゃ)」へ勧請、さらに「広峯神社」から京都の「祇園観慶寺感神院(現在の「八坂神社」)」へ勧請されたという説があります。
また、「茅の輪くぐり」発祥の神社とも言われ、「備後国風土記」には次のように書かれています。「素盞嗚尊」が旅の途中で宿を求めた際「巨旦将来(こたんしょうらい)」という人物に断られますが、その兄「蘇民将来(そみんしょうらい)」に温かくもてなされ、お礼に茅の輪を授けます。
「蘇民将来」の一族はこの茅の輪のおかげで疫病が流行した際も病にかからず生き延びる事ができたという言い伝えがあり、これが「茅の輪くぐり神事」として全国へ広がっていきました。
素盞嗚神社の御朱印
素盞嗚神社の御朱印
素盞嗚神社の概要
- 神社名
- 素盞嗚神社
- 主な御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)神仏習合における「牛頭天王」や陰陽道における「天道神」と同一視されていた 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)素盞嗚尊の御后神。陰陽道における「歳徳神」と同一視されていた 八王子素盞嗚尊と奇稲田姫命の間に生まれた八柱の御子神の総称。別称「八将軍」「八将神」
- 社格等
- 主な摂末社
- 戸手天満宮
蘇民神社
疱瘡神社
- 鎮座地
- 広島県福山市新市町戸手1-1
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和5年7月21日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。