【神社巡り】宮地嶽神社(福岡県福津市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和6年4月13日の参拝
前日に福岡県福岡市を訪れ、この日は福岡から広島に戻る途中に福岡県福津市に鎮座する「宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)」を参拝しました。
福岡市からの道中「筥崎宮」や「香椎宮」の案内、海の中道を通れば「志賀海神社」があったりと、色々と惹かれる思いでしたが時間の都合で断念。
途中、玄界灘の海沿いの道を車で進み「宮地嶽神社」へ向かいます。防風林に遮られていたので一面海とまではいきませんでしたが、そこはかとなくお洒落な雰囲気です。
そして海岸から「光の道」と呼ばれる参道へ進むとその先に「宮地嶽神社」が鎮座しています。
駐車場の案内板はあまり目立っていなかったのですが「宮地嶽神社前」の交差点を右折して少し進めば大きな駐車場があります。
という訳で駐車場に車を停めて参拝。
「光の道」とは「宮地嶽神社」から玄界灘へ伸びる参道でのことで、年に2度参道上の延長線上に夕日が沈み照らされる所から「光の道」と呼ばれています。
参道の階段を登り、振り返ると「光の道」が広がっていました。午前中でしたがとても良い景色です、晴れていて良かった。
そしてそのまま境内を進みます。葉桜になりかけの時期だったのですが、桜が咲いている時期に参拝できたのは嬉しかったです。
正直「光の道」が有名すぎて「神社としてはそんなでも無いのだろうな。」と予想していたのですが、そんな事は全然無く素敵な神社でした。
まずもって鳥居が立派。その鳥居をいくつかくぐります。
詳しい説明はありませんが、楼門も大きくて造りも立派。
手水舎も花が飾られ、ガラス板に沿うように水が流れる様子も素敵。
楼門をくぐった先に拝殿が見えます。拝殿に張られている注連縄は日本一大きいと言われているそうです。
御祭神は「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」(神功皇后の神号)に筑前国の氏族(阿曇族)の長「勝村大神(かつむらのおおかみ)」「勝頼大神(かつよりのおおかみ)」を随従させた三柱。
阿曇族は国津神「綿津見命」の子孫とされているようで、皇族が地元氏族を従えている、というイメージでしょうか。
参拝の後は授与所で御朱印を頂きました。今回は、「桜花爛漫」という春季特別の記念御朱印を頂きました。
授与所の近くにはフクロウがいました。「宮地嶽神社」の言い伝えで、正直者の村人がフクロウに導かれて黄金の玉を授かったという伝説があるそうです。
「宮地嶽神社」の本殿後方には「奥之宮八社」という社も祀られており、「一社一社をお参りすれば大願がかなう」と言われています。
今回は時間の都合で本殿周りだけの参拝になりましたが、福岡に来る事があればまた参拝したいと思いました。
宮地嶽神社の御由緒
全国に鎮座する「宮地嶽神社」の総本宮で、創建は約1,700年前と伝えれれています。
御祭神の「息長足比売命(神功皇后)」が三韓征討の前に滞在し、宮地岳の山頂から開運祈願をして船出したと伝えられています。
その後「息長足比売命」の功績を讃え主祭神として奉斎、地元氏族「阿曇族」の長「勝村大神」「勝頼大神」を併せて「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしています。
本殿の中腹には6~7世紀始めに造られた「宮地嶽古墳」があり、約300点の装飾品・副葬品などが発見され一部は国宝に指定されています。
この古墳は「阿曇族」の長が祀られていると考えられており、北部九州王朝の繁栄を示しています。
また、「宮地嶽神社」には「大注連縄」「大太鼓」「大鈴」の3つの日本一があります。
「光の道」と呼ばれる玄界灘へ伸びる参道は、年に2度その延長線上に夕日が沈み照らされる姿から有名な観光スポットになっているほか、年間200万人以上の参拝客が訪れるそうです。
宮地嶽神社の御朱印
春季特別「桜花爛漫」記念御朱印(見開きサイズ)
宮地嶽神社の概要
- 神社名
- 宮地嶽神社
- 主な御祭神
息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)第14代 仲哀天皇の皇后「神功皇后」の神号 勝村大神(かつむらのおおかみ) 勝頼大神(かつよりのおおかみ)地元氏族「阿曇族」の長で、息長足比売命に随従。三柱を総称して「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」と称する
- 社格等
- 主な摂末社
- 須賀神社
六社神社
奥之宮八社
・一番社 七福神社
・二番社 稲荷神社
・三番社 不動神社
・四番社 万地蔵尊
・五番社 恋の宮
・六番社 三宝荒神
・七番社 水神社
・八番社 薬師神社
- 鎮座地
- 福岡県福津市宮司元町7-1
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- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和6年4月13日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります(「宮地嶽神社前」交差点の南側)。