【神社巡り】靖國神社(東京都千代田区)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
参拝日不明
私がまだフリーランスになる前の勤め人だった頃の話。
仕事で埼玉県に行く機会があり、広島から東京まで新幹線で移動。
乗り換えで大宮に行く前に、東京に来たなら是非とも靖国神社に寄ってみたかったので東京駅で降りました。
九段下の坂道をキャリーケースを引きながら登っていくと、左手に大きなタマネギが見えました。
「これがかの有名な日本武道館か。」と感慨にふけていると、右手に靖国神社が見えました。
訪れたのが夕方で日も暗くなりかけていましたので、本当は遊就館なども見学したかったのですが、あまり長くは滞在できませんでした(そもそも寄り道の最中ですし)。
そういえば金属製の立派な鳥居があったのが印象に残っています。
当時の私はまだ御朱印を頂くという習慣が無かったため、参拝のみ済ませ東京駅まで戻りました。
それから大宮へ向かう電車に乗りこみました。
令和6年3月30日の参拝記録
現在メインで行っている仕事の会合に参加する事になり、令和6年3月29~30日に東京へ行きました。
飯田橋から徒歩で「東京大神宮」を参拝した私は、そのまま次の目的地「靖國神社」へ向かいました。
「東京大神宮」から「靖國神社」までは徒歩で約10分です。
前回参拝した際は夕方だったし埼玉県に行く際のより道だったので軽い参拝しかできなかったので、改めて参拝できる事が非常に感慨深かったです。
「靖國神社」に到着して金属製の大鳥居(銅製だそうです)を見て懐かしく思ったのですが、それと共に驚いたのが参拝客が非常に多い。
日本語じゃない言葉も聞こえてきて、理屈は分かりませんがアジアを含む海外からの参拝客も非常に多かったです。
人の多さに圧倒されながら、手水舎で手を清め神門をくぐります。
当日、東京の桜はまだ開花宣言が出されていませんでしたが、境内の桜は木によっては開花している物もありました。
あくまでも「標本木」が開花しないと開花宣言が出ないみたいですので。
私の祖父は戦争では健在でしたが祖父の兄弟はサイパン島等で戦死されましたので、祖父の代わりに参拝をしました。
それにしても春休みシーズンという事もあり参拝客が多い!
参拝の後に御朱印を頂きましたが、御朱印受付にも行列ができていました。
折角なので標本木の写真も撮っておきました。
「靖國神社」にあるこの標本木に5~6輪以上の花が開くと東京の桜の開花宣言が出されます。
帰りの新幹線の時間まで余裕があるので、前回入れなかった「遊就館」も拝観できました。
「遊就館」では「靖國神社」にお鎮まりになる英霊の遺書や遺品をはじめ、武具甲冑・絵画・美術品など様々な資料を拝観する事ができます。
しっかり見て回ろうとすると120分が目安になりますので、時間に余裕をもって拝観される事をお勧めします。
遺品等の資料だけなく日清・日露戦争や大東亜戦争・第二次世界大戦における戦況の移り変わりなどが解説されていて、日本史の授業で受けた内容を思い出しながら「学び直し」の良い機会にもなりました。
しかしながら、朝から歩き続けてきたせいか途中で脚がものすごく痛くなってしまい、後半の展示を飛ばし飛ばしで見て回ったので、できれば改めて拝観したいと思っています。
「遊就館」も拝観でき満足でき、一方で体力的にそろそろ限界を迎えたので休憩を挟みながら東京駅まで行き、新幹線に乗って広島に戻りました。
靖國神社の御由緒
創建は明治2年(1869年)。明治維新に際して国家のために一命を捧げられた人々の御霊を慰めるため、明治天皇の勅命によって建てられた招魂社(しょうこんしゃ)が前身となります。
明治12年(1879年)には「靖國神社」に改称され、別格官幣社に列せられました。
明治以降は日清・日露戦争、第一次・第二次世界大戦などで尊い生命を捧げられた戦没者を英霊としてお祀りしています。
第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)、政教分離政策の推進により政府の管理を離れ単立の宗教法人となりました。
靖國神社には、軍人だけでなく従軍看護婦・女学生・文官・民間の方々、いわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などが、祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られています。
靖國神社の御朱印
靖國神社の御朱印
靖國神社の概要
- 神社名
- 靖國神社
- 主な御祭神
- 戊辰戦争など明治維新で命を落とした方々をはじめ、日清・日露戦争や第二次世界大戦などで尊い生命をささげられた方々の御霊246万6千余柱
- 社格等
- 鎮座地
- 東京都千代田区九段北3-1-1
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内授与所
- 参拝日
- 参拝日不明、令和6年3月30日
- 地図
駐車場について
参拝者用の駐車場があります(本殿内で正式参拝をした方は無料になるそうです)。