【神社巡り】松陰神社(山口県萩市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
仕事で萩市に行った時に参拝。
広島から萩の道中、中国自動車道:美祢東JCTから北上していくのですが、萩市街の手前に道の駅「萩往還」があります。
「萩往還」とは、もともと今の萩市と防府市を結ぶ街道のことで、江戸時代に整備されました。
萩往還で小休止ついでに、維新志士の銅像があるので写真に残しました。
維新志士の像(1)。左から山県有朋・木戸孝允・伊藤博文
維新志士の像(2)。左から高杉晋作・吉田松陰・久坂玄瑞
萩市街に到着し、仕事を終わらせ松陰神社へ。
写真に残していなかったのですが、入口にある鳥居の横に「松陰神社」と書かれた社号標があるのですが、この文字は吉田松陰が書いた手紙の中から「松」「陰」「神」「社」を抜き出して作った自筆の物です(と、私の近くにいた観光ツアーのガイドさんが言っていました)。
その他、こちらも写真に残っていませんが境内には吉田松陰が主宰した私塾「松下村塾」も残されています。
松陰神社の本殿
参拝の後、御朱印を頂きました。
本題と外れますが、私には広島から萩に嫁いだ友人がおり、萩出張の際に久々の再会をしました。
友人に萩を案内してもらったのですが、その中で第26代総理大臣:田中義一の別邸を見学した際の写真が残っていました。
特に友人に2人の子供がいて、2人ともとても愛嬌良く接してくれたのでとても思い出に残っています。
旧田中別邸
庭からは橋本川の湖畔の風景を眺めることができます。
萩をエスコートしてくれる御子その1
「かんきつ公園」が隣接し、萩名物の夏みかんが栽培されています。
萩をエスコートしてくれる御子その2
松陰神社の御由緒
主祭神は吉田松陰。その他、伊藤博文や野村靖など53柱をお祀りしています。
明治23年(1890年)、吉田松陰の実家・杉家の邸内にほこらを建てたのが前身とされています。
明治40年(1907年)、松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となり神社創建を請願し、松下村塾の南隣に移築して本殿としました。
かつての土蔵造りのほこらは末社・松門神社として松下村塾の塾生・門下生(久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、木戸孝允など)を祀っています。
松陰神社の御朱印
松陰神社の御朱印
松陰神社の概要
- 神社名
- 松陰神社
- 主な御祭神
吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)江戸時代・幕末の思想家である吉田松陰。私塾「松下村塾」を開き、尊王攘夷運動の指導者を育成。安政の大獄により刑死 松下村塾の塾生・門下生53柱
- 社格等
- 主な摂末社
- 松門神社
- 鎮座地
- 山口県萩市椿東1537番地
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 平成28年4月20日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。