【神社巡り】山口大神宮(山口県山口市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

平成28年6月21日の参拝記録

平成28年6月21日、この日は仕事で山口まで来ており、山口大神宮八坂神社今八幡宮の三社に参拝しています。

山陽自動車道:防府東ICを降りて北上、国道9号(山口バイパス)に突き当たる周辺は、山口県庁・山口市庁舎などの政治の中心のほか、国宝に指定されている「瑠璃光寺五重塔」など多くの神社仏閣などがあります。

その中で前々から気になっていた神社の一つが今回の「山口大神宮(やまぐちだいじんぐう)」です。

鳥居の周辺にはモミジが茂っていました。参拝したのが6月で葉が青々としていましたが、秋になると紅葉が奇麗そうです。

山口大神宮
山口大神宮の鳥居周辺

山口大神宮は「西のお伊勢様」と呼ばれているとおり、「伊勢神宮」の御分霊を勧請(分霊を請じ迎えること)しています。

境内に「内宮」「外宮」が存在するのも伊勢神宮を勧請しているからなんでしょうね(後で気が付きました)。

参拝を終え社務所で御朱印を頂きました。

山口大神宮
湯田温泉の近くで山口名物の瓦そばを頂いて帰りました

令和6年1月23日にも参拝をしましたので追記します。

令和6年1月23日の参拝記録

令和6年1月23日。

この日私は仕事休みの予定でしたが、知人が仕事で山口市に行くと言うので、それに便乗して湯田温泉の界隈へ行きました。

知人が仕事をしている間に散歩がてら「山口大神宮」を再び参拝してきました。

前回の参拝当時は神社の写真を撮る習慣が無かったので、今回は写真を撮るのも目的の一つです。

当日は雪が降って寒い天候の中、「山口大神宮」に到着。

山口大神宮
山口大神宮の社号標

1月も下旬ではありますが、初詣の名残か「大判焼き」の屋台がありました(ただし営業はしていない)。

山口大神宮
山口大神宮の石鳥居

余談ですが「大判焼き」は地方によって呼び名が「回転焼き」「二重焼き」「御座候」などと変わりますが、私は「二重焼き」派です。

山口大神宮
右手が社務所です

地元の工匠により木彫の神馬が寄進された馬舎。3年がかりで完成したとのことで、木彫りの神馬は全国的に珍しいそうです。

山口大神宮
馬舎と神馬

階段を登っていった先に内宮と外宮があります。

前回の参拝で唯一残っていたのがこの場所での写真だったので、同じ場所で写真を撮ってみました。

当時はモミジの葉が青々としていましたが、流石に1月だと冬らしい風景でした。

山口大神宮
前回参拝と同じ場所(構図は少し違うけど)の写真を撮りました

という訳で内宮・外宮に到着。

それぞれ社殿の隣に次回遷宮用の御敷地(古殿地)があります。

「伊勢神宮」と同様に20年に一度式年遷宮を行う定めとなっていますが、実際には戦乱・財政難などで延期・中断された時期もあるそうです(最近行われた遷宮は平成12年(2000年))。

山口大神宮
手前が外宮、奥が内宮

まずは外宮を参拝。御祭神は食物を司る神「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」です。

山口大神宮
山口大神宮の外宮

外宮の前には「籾置石」という岩があります。この上に穀物の種を置き、虫除け豊作を祈ったそうです。

山口大神宮
籾置石

そして内宮を参拝。御祭神は皇祖神「天照皇大御神(あまてらすすめおおかみ)」です。

山口大神宮
山口大神宮の内宮

「山口大神宮」の境内には近江国(現在の滋賀県)から勧請した「多賀神社(たがじんじゃ)」も鎮座しています。

御祭神は「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉再尊(いざなみのみこと)」。

国産みの神であることから、「延寿」「安産」などの神として信仰されています。

山口大神宮
多賀神社

同じく境内には末社「高嶺稲荷神社(こうのみねいなりじんじゃ)」も鎮座しています。

山口大神宮
高嶺稲荷神社

それぞれ参拝をした後、今回の参拝では「多賀神社」の御朱印を頂きました。

山口大神宮
五十鈴川

「山口大神宮」の前を流れる小川の名前は「五十鈴川」でした。このあたりも伊勢神宮を倣っている事が感じられました。

山口大神宮の御由緒

山口大神宮の御由緒

室町時代、応仁の乱が原因で京都は疲弊していたため都から周防国(現在の山口)へ移り住む人が多く、山口は「西の京都」と言われるほど栄えていました。

時の第10代将軍「足利義稙(あしかがよしたね)」も戦国大名「大内義興(おおうちよしおき)」をたより山口に入ります。

永正5年(1508年)、大内氏は将軍を奉じて上洛、それ以後11年に渡り「管領代」として幕政をあずかっています。

この間、大内氏は「伊勢皇太神宮(伊勢神宮)」を参拝しており、地元の山口に太神宮を勧請したいと考えるようになったそうです。

永正15年(1518年)に大内氏が山口に帰り、永正17年(1520年)に「後柏原天皇」より勅許を得て「伊勢神宮」の御分霊を勧請して創建したのが「山口大神宮」のはじまりとされています。

当初は「高嶺神明」という社名でしたが、「後柏原天皇」より「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜り、「高嶺太神宮」「今伊勢」と称されるようになったそうです。

昭和3年(1928年)、県社に列格し「高嶺神社」と改称、さらに昭和22年(1947年)には「山口大神宮」と改称しています。

当初は伊勢神宮と同様に20年ごとの式年遷宮を行っていましたが、戦乱や財政難などの問題で延期・中断されていたようです。最近では平成12年(2000年)に式年遷宮が行われています。

御祭神は「伊勢神宮」と同様に内宮に「天照皇大御神(あまてらすすめおおかみ)」、外宮に「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」をお祀りしています。

明治時代に入るまで、伊勢神宮から御分霊を受けたのは山口大神宮のみだったため、伊勢信仰の盛んだった江戸時代には九州・西国の各地から多くの人々が参拝していたそうです。

多賀神社の御由緒

近江国(現在の滋賀県)にある「多賀神社」の御分霊を勧請した神社です。

創建は不明ですが、永和年間(1375~1378年)に大内氏24代当主の「大内弘世(おおうちひろよ)」により社殿が建立されたそうです。

永禄12年(1569年)、騒乱により社殿が焼失しますが、慶長15年(1610年)「毛利輝元(もうりてるもと)」の手により再興しています。

社殿はもともと水の上にあったそうですが、昭和24年(1949年)に「山口大神宮」の境内に遷座したそうです。

御祭神は、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉再尊(いざなみのみこと)」の二柱です。

山口大神宮の御朱印

山口大神宮の御朱印

山口大神宮の御朱印

多賀神社の御朱印

多賀神社の御朱印

山口大神宮の概要

神社名
山口大神宮
主な御祭神

内宮天照大御神(あまてらすおおみかみ)天皇の祖(皇祖神)とされる、太陽の神様

外宮豊受大御神(とようけのおおみかみ)食物や穀物を司る神様

社格等
近代社格 
県社
主な摂末社
多賀神社
高嶺稲荷神社
岩戸社
鎮座地
山口県山口市滝町4-4
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御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
平成28年6月21日、令和6年1月23日
地図

駐車場について

参拝者用の無料駐車場があります。