【神社巡り】一條神社(高知県四万十市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
高知県四万十市を仕事で訪れた際に参拝。
高知県四万十市は、私がWEB制作会社に勤務してWEBディレクターを務めていた頃、初めての担当案件で訪れた地なので感慨が深い地です。
その時は新幹線と土佐くろしお鉄道の特急「南風(アンパンマン列車)」に乗って四万十市の土佐中村まで行きました。
今回は事前に愛媛県内で仕事があったので、広島からフェリーで松山まで移動。松山から南下して四万十川沿いを走り中村まで行ったと記憶しています。
四万十市で仕事を終えホテルで宿泊。近くにあった居酒屋で晩御飯を食べます。
高知名物といえば「カツオのたたき」が有名ですが、「ウツボ」も高知名物とのことで、四万十川の清流で作られた地酒と一緒に頂くことにしました。とても美味しかったです、また食べたい!
翌日はたしか仕事は無くて高知市まで移動、その翌日高知市内で仕事の予定。
当日は移動だけなので四万十市を離れる前に神社を訪れることにしました。中村周辺で神社を探していると「一條神社」を発見。
アーケードのある商店街「天神橋商店街」の端に鎮座していました。
周りより少し小高い地にあり、階段を登ると神社が見えます。
階段をちょっと登ります
一條神社はもともと、室町時代の公家である一条教房の御所「中村御所」があった跡地だそうです。
応仁の乱により都から下向、その子孫が土佐に土着して「土佐一条氏」の系統となりました。
そのため、一條神社には一条教房をはじめとする一条氏の歴代当主などが御祭神としてお祀りされています。
一條神社の拝殿
参拝の後御朱印を頂きました。
その後は、高知市へ向かって移動。寄り道をしながら高知市の若宮八幡宮を目指します。
一條神社の御由緒
一條神社は、一条氏の御所「中村御所」跡に建立された神社です。
応仁の乱により一条教房が都から中村の地に下向し、この地に御所を構えます。
戦国大名の長宗我部氏によって一条氏は滅ぼされ御所は荒廃しますが、慶長12年(1607年)、一条氏の遺臣により御所の跡地に歴代当主の霊を祀る祠が建てられました。
その後、文久2年(1862年)に土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって社殿が造営、「一條神社」として建立されました。
現在の社殿は昭和19年(1944年)の建立です。
御祭神は若藤男命(一条兼良公)、若藤女命(一条兼良夫人)、一条教房公など土佐一条氏の歴代当主などがお祀りされています。
一条兼良公は一条教房公の父親にあたります。
一條神社では8月にはクモを戦わせる「全日本女郎ぐも相撲大会」という虫相撲が行われます。
もともとは一条氏の侍女たちが行っていた遊びが起源とされています。
一條神社の御朱印
一條神社の御朱印
一條神社の概要
- 神社名
- 一條神社
- 主な御祭神
- 若藤男命(わかふじおのみこと):一条兼良公
若藤女命(わかふじめのみこと):一条兼良夫人
一条教房公
土佐一条氏歴代当主及び連枝の霊
- 社格等
- 主な摂末社
- 天神社
愛宕神社
- 鎮座地
- 高知県四万十市中村本町1-3
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 平成30年10月27日
- 地図
駐車場について
少し分かりにくいですが参拝者用の無料駐車場があります。