【神社巡り】速谷神社(広島県廿日市市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

令和5年11月23日の参拝

11月23日は「勤労感謝の日」です。

「勤労感謝の日」はその名のとおり「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」ですが、その前身は「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日です。

「新嘗祭」とは新穀などを神にお供えしその収穫に感謝する祭事でした。それが現代になり勤労や生産を感謝し祝うという形に変わりました。

という訳で、私も個人事業主のはしくれですので勤労感謝の日に神社へ参拝し、今年の労働に感謝する事にしました。

参拝したのは広島県廿日市市に鎮座する「速谷神社(はやたにじんじゃ)」、安芸国(広島県西部)を代表する神社の一社ですが、自宅から比較的近いのに今まで参拝した事がありませんでした。

駐車場に車を停め、鳥居から参道を進みます。

速谷神社
鳥居

参道の木々が少し紅葉していました。

速谷神社
参道

「速谷神社」は明治時代の社格制度で国幣中社に列格しており、古くは同じ安芸国に鎮座する「嚴島神社」よりも篤い待遇を受けていたそうです。

速谷神社
楼門
速谷神社
脇には「国幣中社」と書かれた社号標が立っています

参道を抜けると楼門があり、さらにその先に神門があります。

速谷神社
神門

「速谷神社」の御祭神は「飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)」。安芸国造を賜り、国土を開拓した神とされています。

「速谷神社」は交通安全祈願の神社で有名で、自家用車・企業の営業車など車を買ったらお祓いして貰うという人もけっこういます。

しかし何故「速谷神社 = 交通安全」という図式ができあがったのか謎だったのですが、「速谷神社」は畿内と九州を結ぶ山陽道の守護神として、九州に向かう人々が旅の安全を祈願していたのがはじまりのようです。1月には「交通安全大祭」も行われているそうです。

速谷神社
拝殿
速谷神社
拝殿を別角度から

今年も無事勤労できている事に感謝し、社務所にて御朱印を頂き帰宅しました。

速谷神社の御由緒

御由緒について

創建年は不明ですが、1800年の歴史があるとされています。

延喜5年(905年)に編纂された「延喜式神名帳」では名神大社に列格。「延喜式」に記載された安芸国三社(速谷神社・嚴島神社・多家神社)の中でも格別の待遇を受けていました。

承平5年(935年)に瀬戸内海で藤原純友の乱が起こった際、朝廷は騒乱の鎮定を祈願し、その鎮定に感謝し正四位下の神階を賜っています。

室町時代には桜尾城(現在の廿日市市桜尾本町「桂公園」)の城主「藤原親実」、戦国時代には大名の「大内義隆」「毛利元就」、江戸時代には広島藩主「浅野光晟」などが篤く信仰し、神宝・社領の寄進や社殿の造営等を行ったそうです。

明治時代に入ると近代社格制度が整備され、大正13年(1924年)に国幣中社に列格しています。

第二次世界大戦後に近代社格制度は廃止され、神社本庁所属の別表神社となり現在に至ります。

御祭神について

御祭神は「飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)」。

天孫降臨に随行した「天湯津彦命」の五世孫で、第13代 成務天皇の御代(131~190年)に安芸国造に任じられ安芸国の国土開発をした神とされています。

速谷神社の御朱印

速谷神社の御朱印

速谷神社の御朱印

速谷神社の概要

神社名
速谷神社
主な御祭神

飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)天孫降臨に随行した天湯津彦命の五世孫。安芸国造を賜り国土を開拓した

社格等
古代社格 
式内社(名神大社)
中世社格 
安芸国二宮
近代社格 
国幣中社
現在の分類
別表神社
神階
正四位下
主な摂末社
岩木神社
稲荷神社
鎮座地
広島県廿日市市上平良308-1
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御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
令和5年11月23日
地図

駐車場について

参拝者用の無料駐車場があります。