和気神社(岡山県和気郡和気町)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
岡山県備前市を仕事で訪れ、次の仕事までの合間にまず田倉牛神社を参拝しました。
さらにまだ時間に余裕があったので、次の仕事の目的の途中にある「和気神社」に参拝することにしました。
「和気町」と言えば日本史にも出てきた「和気清麻呂」なので、和気清麻呂に縁の深い神社であろうことは想像できましたが、和気清麻呂公が御祭神とは予想していませんでした。
広い駐車場に車を停めて鳥居をくぐります。ちょうど季節は桜の時期なので、境内の桜もよい具合に咲いていました。

和気神社の鳥居
そして橋を渡ると清麻呂公像がお出迎えして下さいました。

和気清麻呂公像
和気清麻呂と言えば「宇佐八幡宮神託事件」。
時の天皇「称徳天皇」の寵愛を受けていた僧侶「道鏡」。宇佐八幡宮の神主が「道鏡を皇位につかせれば天下は安泰になる」という神託を奏上します。
その際に称徳天皇から宇佐八幡宮へ派遣を命じられたのが和気清麻呂公になります。
宇佐八幡宮に到着した清麻呂が「この国は今まで皇族から天皇を立てており、臣下が天皇になったことはない。必ず皇族から天皇を立てよ。無道な者は早く排除すべき。」という神託を受け、これを持ち帰ります。
称徳天皇はこれを聞いて激怒し、清麻呂を大隅国(今の鹿児島)へ左遷します。この時道鏡は清麻呂を暗殺しようと企みますが失敗に終わります。
その後、称徳天皇が崩御し後ろ盾を失った道鏡は失脚。清麻呂も都へ呼び戻されます。
実は道鏡が清麻呂の暗殺を企てた際、清麻呂は足の腱を切られて歩けなくなってしまいます。
するとどこからか300頭の猪が現れて清麻呂の周りを囲み、清麻呂を守りながら道を先導したという伝説があります。
そんな伝説から、和気神社には全国的に珍しい「狛いのしし」が置かれています。

全国的に珍しい「狛いのしし」
また、神社の近くには100種類の藤が集められた立派な「藤公園」がありますが、私が訪れた時は若干早かったので、藤はまだ咲いていないようでした。
参拝をした後、御朱印を頂きました。
和気神社の御由緒
和気町は豪族「和気氏」の発祥の地で、御祭神の「和気清麻呂公」の生誕地でもあります。
創建は不明、もともと和気氏の遠祖「鐸石別命」を氏神として祀っていたのが起源です。
天正19年(1591年)、別の場所にあった社殿が大雨で流され、現在地に遷座されました。
明治時代になるとその他の和気氏の祖先が合祀されます。和気清麻呂公以下、御祭神は和気氏の一族になります。
清麻呂公を助けた猪が霊泉を案内し、歩けなくなった脚が霊泉の力で治ったことから「足腰の神」として足腰の健康に御神徳があるとされています。
和気神社の御朱印

和気神社の御朱印
和気神社の概要
- 神社名
- 和気神社
- 主な御祭神
- 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)
弟彦王(おとひこおう)
和気清麻呂公(わけのきよまろこう)
和気広虫姫(わけのひろむし)
佐波良命(さわらのみこと)
伎波豆命(きはずのみこと)
宿奈命(すくなのみこと)
乎麻呂命(おまろのみこと)
- 社格等
- 鎮座地
- 岡山県和気郡和気町藤野1385
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 平成29年4月10日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。