愛知縣護國神社(愛知県名古屋市中区)

曖昧な記憶で参拝を振り返る

「平成最後の日:平成31年4月30日」、熱田神宮の参拝を終えた私は次に参拝する神社に移動します。

この日なぜ「愛知縣護國神社」を選んだのかは覚えていないのですが、恐らく「お城の近くには大きな神社がある」と思い、名古屋城近辺の神社を探したら愛知縣護國神社を発見したので参拝することにしたのではないかと思います。

再び名鉄に乗り「市役所」で下車。地下鉄駅から地上にのぼると、目の前に名古屋城があります。

愛知縣護國神社を参拝する前に名古屋城の城址公園「名城公園」をぐるっとひと回り、でも城内を見学するだけの時間は無いと思い、名古屋城は周りから見るだけ(名古屋城の写真はありません)。

プロ野球好きなので、ついでに中日新聞の本社前にも寄ってみました。

そして満を持して愛知縣護國神社に足を踏み入れます。

愛知縣護國神社

愛知縣護國神社の鳥居と社号標

愛知縣護國神社では、毎年4月28日~30日に「春のみたま祭」という例祭が行われているそうで、私が参拝した日もまさに例祭が執り行われていました。

恐らく例祭に加え「平成最後の日」というのも合わさり、境内には多くの参拝者や記帳台などが設置されていました。そういう状況なので写真の撮影は控えめです。

愛知縣護國神社

愛知縣護國神社の拝殿。拝殿内では祭祀をされていました

例祭のただ中なので、控えめに参拝をして御朱印を頂きました。

愛知縣護國神社の御由緒

明治元年(1868年)、尾張藩主徳川慶勝が戊辰戦争で戦死した藩士25柱の御霊を現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りし、翌年「旌忠社」として祠を建てたのが起源です。

明治8年(1875年)に「招魂社」、明治34年(1901年)に「官祭招魂社」、昭和14年(1939年)には内務省令により「愛知縣護國神社」と改称されました。

大正7年(1918年)現在の名古屋市北区名城公園に、その後昭和10年(1935年)、現社地にそれぞれ遷座されています。

昭和20年(1945年)、名古屋大空襲でにより社殿等一切が焼失してしまいますが、昭和33年(1958年)本殿・拝殿等が再建され、その他の社殿も順次再建されています。

太平洋戦争後の占領下では「護国神社」という名称は軍国主義施設とみなされるため「愛知神社」と改称しましたが、昭和30年(1955年)に「愛知縣護國神社」に復称しました。

愛知縣護國神社の御朱印

愛知縣護國神社の御朱印

愛知縣護國神社の御朱印

愛知縣護國神社の概要

神社名
愛知縣護國神社
主な御祭神
護國の神霊(愛知県ゆかりの御英霊93,000余柱)
社格等
現在の分類
神社本庁(別表神社)
その他分類
内務大臣指定護国神社
鎮座地
愛知県名古屋市中区三の丸1丁目7-3
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駐車場の有無
御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
平成31年4月30日
地図