【神社巡り】赤間神宮(山口県下関市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

仕事で山口県下関市を訪れた際に参拝。

当時はよく下関に行っていたのですが、仕事で行くだけあって寄り道する余裕が無い事もたくさん。

海響館・唐戸市場・観覧車など、関門海峡沿いの国道9号を通りながら、でも時間が無いから通るだけでした。

赤間神宮も、国道9号沿いを通っていると、白と赤が鮮やか楼門(水天門)が目につきます。

赤間神宮

水天門から見た拝殿

時間に余裕ができたある時、神社を参拝するチャンスがありましたので、赤間神宮を参拝する事にしました。

赤間神宮

水天門から見た拝殿

赤間神宮は壇ノ浦の戦いの際、わずか8歳で命を落とした第81代:安徳天皇を祀る神社です。

赤間神宮

赤間神宮の拝殿

私が参拝する前年の平成27年には、秋篠宮の佳子内親王が初めての単独地方公務で赤間神宮を参拝されました。

赤間神宮

境内社のひとつ。どの神様をお祀りしているのかは失念

参拝の後、社務所で御朱印を頂きました。

今回は参拝できませんでしたが、近くには亀山八幡宮もあります。こちらも9号線から大きな鳥居が見えるので分かりやすいと思います。

赤間神宮の御由緒

赤間神宮は、文治元年(1185年)壇ノ浦の戦いに敗れ、わずか八歳で入水された安徳天皇を祀っています。

もともとは貞観元年(859年)に開闢した「阿弥陀寺」というお寺でしたが、安徳天皇が入水された後の建久2年(1191年)、朝廷の勅命により御影堂が建立され、建礼門院(安徳天皇の母:平徳子)ゆかりの尼を奉仕させました。

以後、勅願寺(天皇の発願によって鎮護国家、皇室安全を祈るために指定された寺院)として崇敬を受けました。

明治期になり神仏分離令によって阿弥陀寺は廃され、安徳天皇を祭神とする「天皇社」となりました。

天皇社は明治8年(1875年)赤間宮に改称され、その後昭和15年(1940年)に「赤間神宮」に改称しました。

第二次世界大戦により社殿を焼失してしまいますが、昭和40年(1965年)に新社殿が竣工しました。

社殿再建の際、「海の底にある都」竜宮城をイメージして作られた朱塗りの楼門「水天門」などの社殿が建立されており「陸の龍宮」とも呼ばれています。

これは、安徳天皇が入水される際、祖母である二位の尼(平時子)が「波の下にも都の候(海の底にも都がございます)」と言われ、共に入水したと言われる伝説をもとに建立されたそうです。

安徳天皇が入水された際に、三種の神器の一つである草薙の剣も一緒に沈んだと言われています。

また、赤間神宮(当時の阿弥陀寺)は「耳なし芳一」の物語の舞台でもあるため、境内に耳なし芳一を祀った「芳一堂」があります。

赤間神宮の御朱印

赤間神宮の御朱印

赤間神宮の御朱印

赤間神宮の概要

神社名
赤間神宮
主な御祭神
第81代:安徳天皇
社格等
近代社格 
官幣大社
現在の分類
別表神社
主な摂末社
日本西門鎮守八幡宮
大連神社
紅石稲荷神社
鎮座地
山口県下関市阿弥陀寺町4-1
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御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
平成28年11月25日
地図

駐車場について

参拝者用の無料駐車場があります。