神田明神(東京都千代田区)

曖昧な記憶で参拝を振り返る

平成26年5月、はるばる広島から神田明神まで参拝に来ておりますが、実際は参拝というよりも従姉妹が神田明神で結婚式を挙げたので参列した、というのが本当のところです。

結婚式の前に境内を散策。
私初めて知ったのですが、神田明神には銭形平治の碑があります。

なんでも、銭形平次は神田明神下の長屋にすんでいた、とか。

神田明神 神田明神

今回は結婚式がメインなので、参拝は軽めで御朱印も頂いていません。

当日の事で鮮明に覚えているのが、
カメラ小僧(おやじ)達が我さきにと新郎新婦の写真を撮っていた事です。
親族なのに蚊帳の外に追いやられた感じでした。

神田明神 神田明神

そういえば式の後に神田から秋葉原まで歩いたような、
地方出身者はこうやって東京の地理を覚えていくのです。

神田明神の御由緒

神田明神は東京神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場など108町会の総氏神です。

天平2年(730年)、出雲氏族の真神田臣により、現在の東京都千代田区大手町の将門塚周辺に大己貴命を祖神として祀って創建されたのが起源です。

承平5年(935年)、平将門の乱が起こり、将門公の首が神田明神近くに葬られました。その後付近で疫病の流行や天変地異が頻発し、これを将門公の祟りであるとして供養、延慶2年(1309年)に相殿神としました。

関ケ原の戦いの際には徳川家康公が必勝の祈祷をしたそうで、江戸時代に入ると幕府の崇敬を受けています。

元和2年(1616年)に現在地に遷座。

大正12年(1923年)の関東大震災により社殿が焼失されますが、昭和9年(1934年)に社殿を再建。当時としては大変珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造で、第二次世界大戦の東京大空襲の際でも社殿は焼失しませんでした。

神田明神の祭礼である神田祭は「江戸三大祭り(神田祭・山王祭・深川祭)」「日本三大祭(神田祭・祇園祭(京都八坂神社)・天神祭(大阪大阪天満宮))」の一つに挙げられます。

神田明神の概要

神社名
神田明神
主な御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
平将門命(たいらのまさかどのみこと)
社格
近代社格 - 准勅祭社、東京府社
現在の分類- 神社本庁(別表神社)、東京十社
主な境内社
祖霊社
合祀殿(籠祖神社、八幡神社、富士神社、天神社、大鳥神社、天祖神社、諏訪神社)
末廣稲荷神社
三宿金刀比羅神社
浦安稲荷神社
江戸神社
大伝馬町八雲神社
小舟町八雲神社
魚河岸水神社
鎮座地
東京都千代田区外神田2丁目16番2号
駐車場の有無
御朱印を頂ける場所
不明
参拝日
平成26年5月12日
地図