【神社巡り】和歌山縣護國神社(和歌山県和歌山市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
仕事で和歌山県和歌山市を訪れた際に参拝。
2022年12月31日に和歌山県で仕事を納め、翌2023年1月1日に広島に帰るのですが、ホテルをチェックアウトする前に和歌山県の神社に参拝しようと思っていました。
前年、和歌山滞在中にある理由で和歌山市駅近くにあるホテルから付近を徘徊したのですが、その時に和歌山城が歩いて行ける距離にある事が分かり、また、和歌山城公園内に「和歌山縣護國神社」がある事も分かったので、早朝出掛ければチェックアウトまでには充分間に合うというのが把握できていました。
という訳で1月1日の早朝にホテルを出発し和歌山城を目指します。
和歌山城公園内はさすが元旦、初詣客と思われる人々が多く訪れている、と思ったのですが、意外と途中の公園で集団ができており、何やら催しのような物をしていました。
公園内を進んで護国神社に到着したのですが意外と人が少ない。
広島の護国神社では多くの初詣客で賑わい、長い参拝の列ができるのですが、こちらの護国神社は行列はありませんでした。
和歌山縣護國神社の拝殿
まぁコロナ過において密ができないのは有難いことですし、スムーズに参拝ができたので個人的には嬉しい誤算です。
歩兵第六十一聯隊鎮魂碑
参拝の後、社務所で御朱印を頂いたのですが、時間にはまだゆとりがあったので和歌山城も観てみようと思いもう少し散策してみることにしました。
和歌山城天守閣
そうしたら、和歌山城の方に人波ができていたので「和歌山の人は元旦に神社よりお城に行く習慣が強いのかな。」と感じました。
どうやら元旦はお城の入場料も無料になっているようで、私もそれに便乗して城内に入りました。
城内には鏡餅が飾られていました
和歌山城といえば徳川御三家の一つ「紀州徳川家」が代々城主を務めており、八代将軍の徳川吉宗(暴れん坊将軍)や十四代将軍の徳川家茂を輩出しています。
展示物を見ながら天守閣最上階まで登り、和歌山の街並みを見下ろしました。御来光も出ており、正月らしい清々しい気持ちになりました。
天守閣最上階から御来光を拝めました
この後、和歌山城をあとにするのですが、その時道路の向かいに赤い鳥居を見つけてしまったので、折角なのでその神社にも参拝する事にしました(つづく)。
和歌山縣護國神社の御由緒
明治13年から昭和にかけて、戊辰戦争以来国家のため戦死した和歌山県出身の戦没者を奉慰するため、和歌山県知事が祭主となり毎年5月5日に招魂祭が執り行われていました(明治29年~昭和11年までは和歌山城内砂ノ丸で執行)。
全国的に招魂社が建立されていく中で、昭和3年に和歌山県でも「和歌山県招魂社建設期成会」が発足されました。
昭和12年(1937年)、和歌山城内の神域を和歌山市から無償譲渡され、「和歌山県招魂社」が創建されました。
昭和14年(1939年)の内務省令により、全国の招魂社は護国神社と改称され、和歌山県招魂社も内務大臣指定神社に指定され「和歌山縣護國神社」と改称しました。
昭和20年(1945年)の和歌山大空襲により和歌山城天守は焼失してしまいますが、護國神社は社務所の焼失のみに留まりました。
しかし、昭和62年(1987年)に不審火により社殿が焼失。その後、平成4年(1992年)に社殿が再建されました。
昭和37年には、昭和天皇・皇后両陛下の御親拝を賜っています。
和歌山縣護國神社の御朱印
和歌山縣護國神社の御朱印
和歌山縣護國神社の概要
- 神社名
- 和歌山縣護國神社
- 主な御祭神
- 明治戊辰の役から大東亜戦争に至るまでの国難に殉じた和歌山県出身の戦没者36,6669柱の英霊
- 社格等
- 鎮座地
- 和歌山県和歌山市一番丁3番地
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- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和5年1月1日
- 地図