【神社巡り】奥山稲荷社(和歌山県和歌山市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
仕事で和歌山県和歌山市を訪れた際に参拝。
前回、岡公園で紀州徳川神社と弁財天社を参拝し、そろそろホテルに戻ろうと歩いていました。
和歌山城公園南の道路を西へ向けて歩いていると大きな鳥居を発見しました。
位置的に和歌山城で見た鳥居の神社だと確信できましたので、こちらの神社にも寄ってみる事にしました。
小高い坂を登ると~
鳥居があります。
こちらの神社は「奥山稲荷神社(おくやまいなりじんじゃ)」という神社ですが、小ぢんまりとして、正月ですが人の気配はありませんでした。
鳥居の右手は社務所(兼ご自宅)のような建物、左手に社殿と「岡山の時鐘堂」といういわゆる鐘突き堂があります。
社殿には小上がりというか、数段の階段を登るのですが、ちょうどその上の枝にカラスが数羽留まっていました。
カラスにビビった影響で、時鐘堂の写真が無い(後ろにあるのがそれです)
空を飛ぶ生き物が苦手な私は「なんだか少し気味が悪いな。」という具合に小走りで階段をあがり拝殿に向かいました。
小さいですが「奥山稲荷神社」とありました。
拝殿へ進みまして、右手側にあったクッキー缶の中に書き置きの御朱印がありましたので頂こうとしました。
初穂料300円とのことだったのですが小銭が無くなってお札しかなかったので、1,000円を賽銭箱の中に入れました。しかし、ちょうど手を伸ばせばギリギリ届きそうな所にお札が引っかかってしまいました。
ちゃんと奥まで入れ直そうかと思いましたが、ときどき再選泥棒が捕まるニュースを目にしていたので、無人の神社で泥棒と間違われるのもナンなのでそのままにしておき、御朱印を頂くことにしました。
和歌山縣護國神社から始まり、令和5年の元旦に神社を数社参拝させて頂きましたがこれにて終了、ホテルまで歩いて戻りました。
奥山稲荷社の御由緒
創建については、紀州藩祖の徳川頼宣が駿河から国入りした際、和歌山城の守り神として遷座したと伝えられています。
境内には和歌山県指定の史跡「岡山の時鐘堂」という二階建ての鐘突き堂があり、これは正徳2年(1712年)、徳川吉宗が紀州藩主だった時代に建立されたものだそうです。
この時鐘堂は藩士の登城時や刻限を城下に知らせたほか、出火などの非常事態を知らせる重要な施設でもありました。
時鐘堂に使われている鐘は、大坂夏の陣の際に豊臣方が使用していた青銅製の大砲を梵鐘に鋳なおされたものと言われています。
大正10年(1921年)に時鐘の役目は終わりましたが、その後も8月15日の終戦記念日と12月31日の大晦日に鐘突き行事が行われてきたそうです。
奥山稲荷社の御朱印
奥山稲荷神社の御朱印
奥山稲荷社の概要
- 神社名
- 奥山稲荷社
- 主な御祭神
- 稲蒼魂命(うがのみたまのみこと)
照川大明神(てるかわだいみょうじん)
葛葉大明神(くずのはだいみょうじん)
幾田大明神(いくただいみょうじん)
吉田大明神(よしだだいみょうじん)
- 鎮座地
- 和歌山県和歌山市吹上1-4-19
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- 御朱印を頂ける場所
- 拝殿横に書き置きがありました
- 参拝日
- 令和5年1月1日
- 地図
駐車場について
敷地内の有無は不明ですが、向かいに和歌山城公園の駐車場(有料)があります。