【神社巡り】北野天満宮(京都府京都市上京区)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和3年3月、岐阜での仕事を終えた私は、そのまま広島に戻る予定でしたが、翌日の予定がなかったため、急遽京都で途中下車して神社を廻る事にしました。
(なお、この時岐阜では金神社を参拝しています)
時はコロナまっただ中、こういう時分に出歩くのもどうかと悩みましたが、京都へ行く機会もなかなか無いので思い切って決行しました。
岐阜から名古屋へ向かう電車の中でホテルを予約。そこから新幹線に乗り20時過ぎに京都駅へ到着。
京都駅近くのホテルに到着し、ライトアップされた東寺の五重塔を見つつ、翌日の旅程を考えました。
翌朝、まずはホテルの近くにある東西の本願寺を拝観した後、バスに乗って私が最も訪れてみたかった「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」に向いました。
しかし最近はどのバスに乗れば何時にどこへ行けるか、スマホ1つで分かるようになって便利になったなぁとつくづく思います。
学生の頃に就職活動で行った大阪で、帰りにどの電車に乗ったら良いか分からず迷子になったのを思い出します。
特に何の問題も無く「北野天満宮前」のバス停に到着。
北野天満宮の鳥居
天満宮の鳥居を感動しながら眺めていたら、信号無視していました。誠に申し訳ありません。
天満宮といえば学問の神様「菅原道真公」をお祀りした神社で有名ですが、それと同じく有名なのが梅の木。
道真公は梅をこよなく愛されており、太宰府へ左遷される前に「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」という和歌も詠んでいます。
北野天満宮には約1,500本50種の梅の木があり、ちょうど「花の庭」という梅苑が公開中でした。
梅苑意外にも境内の至る所に梅の花が咲いていました
重要文化財でもある三光門
三光門をくぐり本殿に向かいます。現在の本殿は慶長12年(1607年)、豊臣秀頼公によって造営されたもので、国宝に指定されています。
国宝の御本殿
御本殿前に植えられた梅の木は、道真公が育てられた紅梅を守り受け継いできた物だそうです。
御本殿を別角度から
御本殿で参拝を終え御朱印を頂く事にしましたが、北野天満宮には限定の物を含めて10種以上の御朱印がありました。
その中でも「梅苑公開中限定」か「丑年限定」のどちらを頂くか悩みましたが、「天満宮といえば牛」「丑年は12年に一度しかない」という理由で丑年限定の御朱印を頂きました。
また、北野天満宮に納められている宝剣「鬼切丸(髭切)」のフェルト(白)も頂きました(こちらは御朱印帳の当て布として使えるそうですが、白いので汚れるのが勿体無いような)。
北野天満宮を後にした私は、引き続き他の神社へ向かう事にしました(つづく)。
北野天満宮の御由緒
北野天満宮は、平安時代の学者・政治家である菅原道真公をお祀りする全国約12,000社ある天満宮の総本社であり、全国にある天満宮の多くは北野天満宮から御霊を分けられているそうです。
天歴元年(947年)、御神託により平安京の北西に創建されました。
永延元年(987年)には初めて勅祭が行われ、この時一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜りました。
これ以降も朝廷から厚い崇敬を受け、二十二社(国の重大時や天変地異などが発生した際、朝廷から奉幣(幣帛:お供え)を受けていた特別な22社)の一社にもなりました。
現在の社殿は豊臣秀吉の遺命により、慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営し、現在では国宝に指定されています。
菅原道真公は学問の神様として信仰が厚く、多くの受験生が参拝に訪れます。
境内一円は京都随一の梅の名所で、約1,500本50種の梅の木があるそうです。毎年2月中ごろから3月末にかけて、境内の梅苑が公開されています。
北野天満宮の御朱印
鬼切丸(髭切)のフェルト
北野天満宮の丑年限定の特別御朱印(見開きサイズ)
北野天満宮の概要
- 神社名
- 北野天満宮
- 主な御祭神
主祭神菅原朝臣道真公(すがわらのあそんみちざねこう)平安時代の学者・政治家。死後「天満大自在天神(天神さん)」と称され、学問の神様として全国の天満宮で祀られている。北野天満宮は総本社とされる
相殿神中将殿(ちゅうじょうどの)菅原高視(菅原道真公の長子)
吉祥女(きっしょうめ)菅公北の方(菅原道真公の正室)
- 社格等
- 主な摂末社
- 火之御子社
文子天満宮
地主社
伴氏社
白太夫社
牛社 ほか
- 鎮座地
- 京都府京都市上京区馬喰町
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和3年3月10日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。