【神社巡り】清神社(広島県安芸高田市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

仕事で広島県安芸高田市を訪れた際に参拝。

安芸高田市といえば、2023年あたりにおいて市長と市議会のアレコレが話題になっていますが、それは置いておいて。

前回投稿(湯の山明神社)で広島東洋カープについて書いていますが、こちらの「清神社(すがじんじゃ)」はサンフレッチェ広島にゆかりがあります。

サンフレッチェ広島の練習場が安芸高田市にあることや「サンフレッチェ」という言葉が毛利元就の故事「三本の矢」に由来することなどから、サンフレッチェ広島が必勝祈願で参拝しています。

安芸高田市(旧吉田町)の市街地に行くと「郡山(こおりやま)」という山の麓に毛利家の家紋が見えますので、大まかにはそのあたりです。

「郡山」にはかつて毛利氏の居城「郡山城」があり、毛利氏は「清神社」を信仰していたそうです。

そんなこんなで仕事終わりに参拝しました。

清神社
清神社の鳥居

地図や安芸高田市のWEBサイトには「駐車場あり」と書いてあったのですが、私には見つけられませんでした。

鳥居をくぐり階段を登ると拝殿・本殿が見えます。

清神社
清神社の拝殿
清神社
拝殿を別角度から

こちらの「清神社」の境内は無人でした。神職は常駐されていないようです。

境内には樹齢700年を超える(1,000年以上とも)と言われる杉の木があります。

清神社
拝殿を近くから

無人とはいえ、上記のとおりサンフレッチェ広島の必勝祈願でローカルニュースに取り上げられていますので、恐らく安芸高田市では一番有名な神社かもしれません。

それゆえか、参拝される方もちょいちょいいらっしゃいました。

清神社
杉の木は樹齢700年以上とのこと

後ほど調べると、どうやら御朱印は階段下に社務所があり、書き置きが頂けるそうですが私はそれに気付きませんでした。

参拝を終えて帰りました。

清神社の御由緒

創建年は不明ですが神代からの鎮座とされているそうで、戦国時代に毛利氏が郡山城を築城する前から「祇園社」として鎮座しているとのことです。

正中2年(1325年)以後の棟札が現存しているとのことで、それ以前の創建だそうです。

戦国時代には郡山の鎮守社として、毛利氏から信仰を受けています。

御祭神は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「稲田姫(いなだひめ)」「足摩乳(あしなづち)」「手摩乳(てなづち)」をはじめ五男三女神をお祀りしています。

現在では、Jリーグ「サンフレッチェ広島」が必勝祈願で毎年参拝しており、その様子がローカルニュースで取り上げられています。

5月5日には350年前から続く例祭「吉田の市入祭」が挙行され、旧吉田町の通りをだんじり屋台が繰り出され、こども歌舞伎が演じられるそうです。

現在の社殿は元禄7年(1694年)、毛利輝元によって建立されたものだそうです。

清神社の概要

神社名
清神社
主な御祭神

素戔嗚尊(すさのおのみこと) 稲田姫(いなだひめ) 足摩乳(あしなづち) 手摩乳(てなづち)

鎮座地
広島県安芸高田市吉田町吉田477
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御朱印を頂ける場所
階段下の社務所に書置きの御朱印が頂けるそうです(未確認)
参拝日
令和5年7月18日
地図

駐車場について

参拝者用の無料駐車場があるそうですが、場所が分かりませんでした(鳥居の左手前?)。