【神社巡り】鷺神社(広島県三次市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
仕事で広島県三次市を訪れた際に参拝。
そういえば私は三次市の神社にお参りした記憶が無かったので、仕事終わりにどちらかの神社を参拝することに決めました。
インターネットで神社を検索していると、丁度夏の時期に「風鈴まつり」という、境内に多数(約500個だとか)の風鈴を飾る「鷺神社(さぎじんじゃ)」という神社を見つけました。
「広島でも風鈴を飾る所があるんだな。」と思って「鷺神社」に向かいます。
三次市の中心街から少し離れた細い道を進んでいきます。本当に細いので大きい車だと離合がちょっと大変かもしれません。
参道が二つありますが、南参道の方が駐車場は広めです。
という訳で南参道の鳥居そばにある駐車場に車を停めて参拝しました。
とはいえ、表参道は逆側なので一旦表側に回ります。
手水舎には紫陽花の花びらが浮かんでいました。
「鷺神社」のご神職は女性なのですが、さすが女性らしい、というかオッサンの私では考えつかない細やかさです。
手水舎横の竹垣には風鈴が飾られているのですが、実は風鈴だけでなく風車も飾られていました。
風鈴も風車も風が吹くと音を鳴らしてくれ、真夏の暑い日に参拝しましたが暑さが少し和らぎます。
境内には茅の輪も設置されていましたが、茅の輪としては終わりに近い時期なので、少々お疲れの様子。今年の夏も暑かったですしね。
拝殿で参拝をして社務所で御朱印を頂きましたが、この日はちょうど「一粒万倍日」だったようで、「一粒万倍日」限定の御朱印を頂きました(こういう所も女性らしい)。
他にもいくつか御朱印の種類があるので、改めて参拝したいです。
参拝を終え、細い道を再び通って帰りました(でも道が細いって事は、それだけ昔から鎮座しているって事ですよね)。
鷺神社の御由緒
天武天皇4年(675年)の夏、備後・安芸の両国に疫病が蔓延し多くの死者が出ていました。
人々が疫病を恐れていたところ「稲背脛命(いなせはぎのみこと)」が「吾の魂を祀れば、守護神となって悪災から免れさせよう。」という神託とともに現れたため社殿を創建したのがはじまりとされています。
応仁の乱以降に荒廃しますが、江戸時代に入ると明暦2年(1656年)、寛文8年(1668年)、貞享元年(1684年)などに再建・修復がされ現在に至るそうです。
本殿は「植松古墳群」の一つの古墳の上に建っているそうです。
「無病息災」とりわけ「天然痘」から逃れるための信仰に厚く、現在では病気平癒の御神徳があるとされています。
毎年元旦に境内に埋められた酒を開封し、その出来具合で稲の豊凶、産業や経済の動向を占う「世量り神事」という神事が行われているそうです。
鷺神社の御朱印
一粒万倍日限定の御朱印
鷺神社の概要
- 神社名
- 鷺神社
- 主な御祭神
主祭神稲背脛命(いなせはぎのみこと)「天穂日命」の御子神で、国譲りの際に美保関にいた「事代主神」を呼び戻す役を負った 大和建命(やまとたけるのみこと)第12代景行天皇の皇子で、熊襲征討や東国征討を行ったとされている
相殿神天照座皇大神(あまてらしますすめおおみかみ) 大物主(大国主)神(おおものぬし(おおくにぬし)のかみ) 倉魂神(うがのみたまのかみ) 天鳥船神(あめのとりふねのかみ) 他 計29柱
- 鎮座地
- 広島県三次市十日市町1877
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- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和5年7月26日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。