【神社巡り】赤坂氷川神社(東京都港区)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和6年3月30日の参拝
現在メインで行っている仕事の会合に参加する事になり、令和6年3月29~30日に東京へ行きました。
メインの会合は29日に行われましたが、時間の都合で日帰りができなかったので東京で一泊。
翌30日は予定は無かったので夕方に発車する新幹線の座席を取り、久しぶりの東京を満喫することにしました。
まずは歩ける範囲で回ってみようと思い、滞在先の新橋から徒歩で40分くらい歩けば「赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ)」に参拝できるので、行ってみることにしました。
昨日同様「新寅通り」を西へ進み、「愛宕神社」のある交差点をさらに直進。
アメリカ大使館の横や「アークヒルズ」を抜け、六本木通りの地下道を越えた少し先に「赤坂氷川神社」が鎮座していました。
南側の参道から参拝しました。
東京のビル群を抜けてやって来ましたが、境内は緑が豊かでのどかな感じでした。
「赤坂氷川神社」の御祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」「奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」「大己貴命(おおなむぢのみこと)」の三柱。
御社殿にて参拝し、社務所で御朱印を拝授します。
徳川吉宗の命で建立された社殿は震災や戦禍を免れて現在もその姿を残しており、東京都の有形文化財に指定されています。
楼門の右側には「江戸型山車」を展示する「山車展示場」があります。山車の上部にある人形はカラクリで上下するそうです。
震災・戦禍の影響や山車祭の衰退で神輿に置き換わってきているそうで、現在では山車は貴重なものだそうです。貴重な物をオープンで見せて頂けることに感謝。
参拝を終え、今度は東側の参道から出ることにしました。
東側参道で狛犬を発見。なんだかシャープな出で立ちと台座が特徴的でした。
境内には7対の狛犬があるとのことです。
さらに東側には境内社の「四合稲荷(しあわせいなり)」と「西行稲荷(さいぎょういなり)」が鎮座。
「四合稲荷」の御祭神は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」。
明治30年(1898年)に四社が合祀された神社でもありますが「幸福(しあわせ)」「志を合わせる」をかけ「勝海舟」によって名付けられたのだそうです(その後さらに三社が合祀されています)。
「西行稲荷」は、江戸時代に「西行五兵衛」という人物が甲冑を身にまとい弓矢を携えた狐の形をした鉄像を拾って御神体とした事から、五兵衛の名前を取って創建されたそうです。
そういえば、テレビで見かける某ジャーナリスト氏(個人情報に抵触するとアレなのでぼかします)は、赤坂氷川神社境内の土地を借りて住んでいるとかいないとか。
神社に住むって素敵だな、と思いました。
赤坂氷川神社の御由緒
創建は天暦5年(951年)、一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かした蓮林僧正の夢の中に御祭神のお告げがあり、この地に社殿を建ててお祀りしたのが起源です。
享保元年(1716年)、紀州徳川家の徳川吉宗が将軍職を継ぐにあたり、赤坂に中屋敷があった事から幕府からの尊信が高まりました。
享保14年(1729年)、吉宗の命により現在地に社殿を造営し遷座。
明治元年(1868年)、明治天皇が東京にお移りになられた際、東京を守護する神社「准勅祭社」の1社に定められ、祭祀の際には天皇の勅使が派遣されていました。
「准勅祭社」の制度は無くなりましたが、現在でも「東京十社」の1社に列しています。
現在の社殿は享保14年に造営されたもので、関東大震災や東京大空襲などの災禍にも奇跡的に免れ、東京都の有形文化財に指定されています。
現在地に遷座される前、「浅野内匠頭」の正室「瑤泉院」の実家である三次藩浅野家の下屋敷がこの地にあったそうです。
赤坂氷川神社の御朱印
赤坂氷川神社の御朱印
赤坂氷川神社の概要
- 神社名
- 赤坂氷川神社
- 主な御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)天照大御神の弟神で、八岐の大蛇を退治する等の伝説がある 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)素盞嗚尊の御妃神。八岐の大蛇の生贄になるところを素盞嗚尊に助けられ結婚した 大己貴命(おおなむぢのみこと)出雲大社の御祭神「大国主命」の別名。素盞嗚尊と奇稲田姫命の子孫神にあたる
- 社格等
- 主な摂末社
- 四合稲荷神
西行稲荷神
山口稲荷
桶新稲荷
九神社
- 鎮座地
- 東京都港区赤坂6-10-12
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内授与所
- 参拝日
- 令和6年3月30日
- 地図
駐車場について
徒歩で参拝したため詳細不明ですが、有るとのこと(9台)