【神社巡り】小童須佐神社(広島県三次市)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和5年7月28日の参拝
仕事で広島県三次市を訪れた際に参拝。三次市といっても旧甲奴町なので、世羅町の北の方というイメージが強かったです個人的に。
この頃の私は仕事の関係で広島県内の色々な所を回っていました。
この日の現場に行く前に神社を横切ったので、帰りに寄ってみようと思って立ち寄ったのが「小童須佐神社(ひちすさじんじゃ)」。
「小童」と書いて「ひち」と読みます。絶対に読めん。
鳥居の前に駐車場がありましたので、そこに車を停めて参拝します。
実はこちらの「小童須佐神社」は福山市に鎮座する「沼名前神社」「素盞嗚神社」と合わせて「備後三祇園」と呼ばれているそうです。
境内はゆるやかな登り坂になっており、坂を登っていくと回廊があります。
回廊の天井にはたくさんの絵画が奉納されていて、神社の歴史の長さが感じられました。
回廊の先に拝殿が見えるのですが、朱く塗られた社殿と細かな彫刻、さらにその朱が色褪せている様子にも歴史を感じられました。
「小童須佐神社」の名のとおり、御祭神は「須佐之男命」です。
境内社の数も多く、なるほど地域で重要な神社であった事が分かります。
中でも特徴的なのが「波梨賽神社(はりさいじんじゃ)」。神社内に「大神輿」が納められている、と言いますか「大神輿」自体が境内末社という、珍しい神社(大神輿)です。
この大神輿は「日本一の大神輿」と言われており、広島県の重要文化財に指定されています。
7月の例大祭では、この大神輿を「武塔神社」まで綱で引くそうです。
それぞれ参拝をして帰りました。参拝時に境内に神職はいらっしゃらないようでしたので、御朱印が頂けるかどうかは分かりません。
余談ですが、「小童須佐神社」から南に約17km、世羅町に「今高野山」がありました。真言宗の総本山「高野山」と同じく弘法大師が開いた霊場だそうです。
「今高野山」も今回の行き帰りで横切ったので非常に気になったのですが、時間の都合で参拝できませんでした。
小童須佐神社の御由緒
創建は宝亀5年(774年)、当時伝染病が蔓延しており人々が恐れおののいていた時、小さい童が馬に乗って現れ「私は須佐之男命の化身だが、この地は昔から私の鎮座所だったが今は祀られていないので、再び祀れば伝染病は鎮まるであろう」とお告げをしました。
人々はそのお告げにしたがい、社殿を建立し祭事を行ってお鎮めしたところ伝染病がおさまりました。
それ以来、近くの村々から多くの人が参拝するようになったと伝えられています。
奈良時代には神仏習合の影響で主要な神社に「神宮寺」が建てられており、当社にも「神宮寺」が建てられました。
また、御祭神の「須佐之男命」の本地仏は「薬師如来」とされ「牛頭天王」とも習合しました。
明治時代に入ると神仏分離により「神宮寺」は廃寺。それまで「牛頭天王社」「祇園宮」と称されていたそうですが改称しています。
現在の社殿は元禄9年(1696年)に建立されています。
境内には「大神輿」がありますが、神輿自体が境内末社「波梨賽神社(はりさいじんじゃ)」とされています。
大神輿の製造は永正14年(1517年)、重さは1.8トンで「日本一の大きい神輿」と言われ、広島県の重要文化財に指定されています。
7月に挙行される例大祭「祇園祭」では大神輿を御旅所である「武塔神社」(「小童須佐神社」駐車場の近くに鎮座)まで綱で引き、最終日に戻されるそうです。
福山市の「沼名前神社」「素盞嗚神社」とともに「備後三祇園」と称されています。
地元の方々には「おごっさん」「小童の祇園さん」などと呼ばれ親しまれています。
小童須佐神社の概要
- 神社名
- 小童須佐神社
- 主な御祭神
幣殿須佐之男命(すさのおのみこと)
小童神社足那槌命(あしなづちのみこと) 手那槌命(てなづちのみこと)
波梨賽神社(大神輿)櫛稲田比売命(くしなだひめのみこと)
- 社格等
- 主な摂末社
- 厳島神社
日吉神社
金神社
水波売神社
客人神社
伊勢神社
祖霊社
合併社
大荒神
疫除神社
- 鎮座地
- 広島県三次市甲奴町小童1072
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- 御朱印を頂ける場所
- 不明
- 参拝日
- 令和5年7月28日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。