【神社巡り】仰支斯里神社(島根県仁多郡奥出雲町)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和5年9月1日の参拝
前回投稿の続き、鳥取県米子市で仕事を終わらせ広島へ戻る道中のお話です。
実は今回の神社巡りの中で最も参拝してみたかったのが、神社が島根県仁多郡奥出雲町に鎮座する「仰支斯里神社(かみきりじんじゃ)」でした。
当時、私は「神様データベース」というページを作り始めており(最近は全然手が進んでいませんが)、その中で「天挟霧神(あまのさぎりのかみ)」という霧の神を知ります。
この「天挟霧神」をお祀りする神社は少ないのですが、そのうちの一社が「仰支斯里神社」という事が分かり、気になっていました。
という訳で、広島までの帰りにちょっと寄り道をして「仰支斯里神社」に参拝してみました。
事前情報では「駐車場は無い」という情報を目にしていたのですが、そんなことは無い!バッチリ駐車場ありました。
それにしても「仰支斯里」と書いて「かみきり」とはとても初見では読めない。なんだか「切支丹(キリシタン)」みたいな社名です。
もともとは「髪切」だったのが、なんやかんやあって「仰支斯里」になったそうです(詳しくは後述)。
社地は大きくないのですが、地元の集落から少しだけ離れた地で古くから鎮守していたのかな、という雰囲気でした。
御祭神は先述のとおり「天挟霧神」。「天挟霧神」には対になる「国挟霧神(くにのさぎりのかみ)」がいらっしゃいますが、「天挟霧神」のみお祀りしているのは非常に気になっているところです(「国挟霧神」をお祀りする神社を知らないので、余計に気になっています)。
拝殿で参拝。御朱印は拝殿の前に書き置きがありました。こちらの御朱印は近くに鎮座する「伊賀武神社」と共同のもののようです。
という訳で今回の目的が達成。長かった山陰神社巡りシリーズでしたが、これにて締めとなります。
仰支斯里神社の御由緒
奈良時代に編纂された歴史書「出雲国風土記」に記載のある古社ですが、細かな由緒は不明のようです。
「仰支斯里」と書いて「かみきり」と読む、難読の神社名として有名なようです。
神社内の案内によるともともと「髪切」という棟札・屋号が残っていたそうですが、「髪」が「髟」と「友」に誤写。更に「髟」が「仰」、「友」が「支」に誤写され、「切」を仮名書き(「期里」)に変え、さらに「斯里」に誤写され「仰支斯里」となったそうです。
「髪切」については、高天原から追放された「須佐之男命」が「鳥髪」の地に降りますが、これは奥出雲町にある現在の「船通山」のことだそうです。この時「髪切り・爪切り」という天罰を受けた事に由来するとのことで、御神体は「須佐之男命」の「遺髪三筋」なのだそうです。
御祭神は霧の神である「天挟霧神(あまのさぎりのかみ)」ですが、関連は書かれていませんでした。個人的には「切(斯里)」が「霧」になったか、中国山地の山間部で霧深い地からの関連じゃないかな、と思います(もう少し南ですが広島県北部の三次市や庄原市は霧が発生する事でも有名です)。
仰支斯里神社の御朱印
仰支斯里神社の御朱印
仰支斯里神社の概要
- 神社名
- 仰支斯里神社
- 主な御祭神
天狭霧神(あめのさぎりのかみ)霧の神とされており、「国狭霧神」と対を成す
- 鎮座地
- 島根県仁多郡奥出雲町八代344
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- 御朱印を頂ける場所
- 拝殿前に書き置きがあります
- 参拝日
- 令和5年9月1日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。