【神社巡り】新宮神社(広島県廿日市市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

広島県廿日市市新宮。

廿日市市といえば「厳島神社」があまりにも有名ですが、新宮地区周辺は市役所や税務署、郵便局などの公共施設が立ち並ぶ、さながら「廿日市市の行政の中心地」と言える場所です。

さて、私がこの新宮に鎮座する「新宮神社(しんぐうじんじゃ)」を参拝した経緯はあまり覚えていないのですが、廿日市市に用事があったのだと思います、たぶん。

なんとなく「新宮神社」の存在を知っていましたが、立地的に駐車場が無さそうなので近くのコインパーキングに車を停め参拝。

新宮神社
参道の左右は普通に民家です

「廿日市の行政の中心地に鎮座する神社にしては思ったより賑々しくない。」と思いました。

よくよく考えてみれば、市役所も税務署も郵便局も比較的新しい建物なので、元々は別の場所にあったのかもしれません(廿日市市民じゃないからよく分からない)。

新宮神社
新宮神社の拝殿

「新宮神社」に着いてみると、境内には誰もいませんでした。

どうやら現在は、近くに鎮座する「廿日市天満宮」の兼務社となっているそうです。

ですが、拝殿の脇などに金魚を飼っている水槽がいくつかありましたので、神社の方か氏子の方がお世話しているのだと思います。

新宮神社
拝殿を別角度から右隣は稲荷神社

境内のイチョウの木は樹齢130年だとか。

新宮神社
正面左側にあるのがイチョウの木

拝殿隣には摂末社の「稲荷神社」も鎮座しています。

新宮神社
摂末社:稲荷神社

参拝を終え、パーキングに戻ろうと参道を歩いていたら参拝者用の駐車場が見つかりました。

新宮神社
参拝者用駐車場はありました

分かりにくいですが、神社を出て参道の左側が駐車場(スペース)になっているようです。

新宮神社の御由緒

文安3年(1446年)、下平良村の藤掛尾城主である「加賀守上野之助」が領内鎮守のために創祀したのが起源とされています。
(「藤掛尾城」は新宮神社の少し西側にある高架の先にあったようです)

その後、戦国武将「陶晴賢」に攻められ「藤掛尾城」は落城。

永禄元年(1558年)、熊野新宮を合祀して下平良村の氏神となりました。

慶安5年(1652年)、「廿日市天満宮」が廿日市の氏神様となった関係で、寛文4年(1664年)に新宮の神様も天満宮に勧請したそうです。

それ以降「廿日市天満宮」の神輿は、新宮神社をお旅所として秋の祭礼が行われるようになったそうです。

現在は「廿日市天満宮」の兼務社となっているそうです。

新宮神社の概要

神社名
新宮神社
主な御祭神

主祭神伊邪那岐命(いざなぎのみこと)国生み・神生みを行った男神

伊邪那美命(いざなみのみこと)国生み・神生みを行った女神

相殿神少毘古那命(すくなひこなのみこと)御「大国主神」と共に国造りを行う。身体の小さな神様

大穴牟遅命(おおなむちのみこと)出雲大社等で祀られている「大国主神」の別名

事代主命(ことしろぬしのみこと)「大国主神」の御子神で「えびす様」として信仰されている

主な摂末社
稲荷神社
鎮座地
広島県廿日市市新宮1丁目5
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御朱印を頂ける場所
不明
参拝日
令和4年11月3日
地図

駐車場について

分かりにくいですが、参拝者用の駐車場があります。
(神社を正面に見て、鳥居の手前右側)