【神社巡り】住吉大社(大阪府大阪市住吉区)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
珍しく旅行で大阪府大阪市を訪れた際に参拝。
本来の旅の目的は別にあったのですが、私の我儘で大阪の神社に寄らせて頂く事になりました。
同行者は神社に対して興味の低い人だったので、なるべく御利益の大きそうな神社を選んだ結果、全国の住吉神社の総本宮である「住吉大社(すみよしたいしゃ)」を参拝する事にしました。
おもてがまえから御立派
流石は住吉大社、御立派の一言でございました。
住吉大社見どころの一つ「反橋」
住吉大社は海上交通の神様だそうで、北前船の廻船問屋などが寄進した大きな灯篭もたくさん置かれていました。
灯篭も御立派
時期はちょうど七五三だったので、お参りをする家族がたくさんいました。
住吉神社には4柱の神様がそれぞれ別の本宮に祀られています。
左側が第三本宮、右が第四本宮
この本宮はどっちだ?
また、境内社の「種貸社」には、一寸法師を形取った手水舎や大きなお椀があり、どうやら一寸法師と関係がありそうです。
境内社の「種貸社」。いかにも子どもが授かれそうな名前です
どうやら一寸法師のお話の中で、子どものいないお爺さんとお婆さんが子どもを授かるために祈願したのが住吉大社と言われています。
種貸社の手水舎
大きなお椀に顔出しパネルもありました
住吉大社の境内はとても広いので、ゆっくり時間をかけてお参りしたいですね。今回は同行者がいたので遠慮気味に参拝しました。
住吉大社の御由緒
「住吉大社」は、全国に約2,300社あるとされる住吉神社の総本宮になります。
約1,800年前、神功皇后が新羅征討で住吉大神のご加護の下で成功を納めました。大和に凱旋した際、住吉大神の神託によって当地に御鎮祭されたのが創建となります。
住吉大社に対する崇敬は厚く、天武天皇をはじめ歴代の天皇・皇族から奉幣(ささげ物)や神宝の奉納などが相次いでいたそうで、明治天皇や昭和天皇もご参拝されています。
住吉大社では伊勢神宮と同じく20年に一度の遷宮が行われており、戦国乱世には中断されていましたが、平成23年(2011年)には御鎮座1800年記念大祭にあわせて「第49回式年遷宮」が執り行われました。
初詣の参拝者は3が日で250万人にもおよぶそうです。
山口県下関市の「住吉神社」、福岡県福岡市博多区の「住吉大社」とあわせて「日本三大住吉」の一つとされています。
住吉大社の御祭神について
御祭神は「表筒男命」「中筒男命」「底筒男命」の三柱を総称して「住吉大神」と言います。後に「神功皇后(息長足姫命)」もあわせて祀られるようになり、「住吉四社大明神」と崇められるようになりました。
住吉大社には4つの本宮があり、それぞれ異なる御祭神が祀られています。
・第一本宮:底筒男命(そこつつのおのみこと)
・第二本宮:中筒男命(なかつつのおのみこと)
・第三本宮:表筒男命(うわつつのおのみこと)
・第四本宮:息長足姫命(おきながたらしひめのみこと):神功皇后
「伊邪那岐命」が黄泉の国から帰還した時に「禊祓 (みそぎはらえ) 」をした際に「住吉大神」が生まれたため、神道で最も重要な「祓(はらえ)」を司る神ともされています。
また、住吉大神は海上安全の守護神でもあったので、遣唐使を派遣する際は必ず朝廷より奉幣が捧げられたり、江戸時代には北前船の船主が航海安全を祈願するなど、海上無事が祈願されていました。
そのほか、「和歌の神」「農耕・産業の神」「弓の神」「相撲の神」等としても崇められています。
住吉大社の社格について
延喜5年(905年)に編纂された「延喜式神名帳」では「名神大社(神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神を祀る神社)」に列格されています。
また、中世では「摂津国一宮」に選定されたほか「二十二社(朝廷から奉幣を受けていた特別な神社)」にも選定されています。
明治期の「太政官布告」では「官幣大社(祈年祭・新嘗祭の際に国から奉幣を受ける神社)」に定められています。
住吉大社の御朱印
住吉大社の御朱印(刺繍仕様の特別御朱印)
住吉大社の概要
- 神社名
- 住吉大社
- 主な御祭神
- 住吉大神
・底筒男命(そこつつのおのみこと)
・中筒男命(なかつつのおのみこと)
・表筒男命(うわつつのおのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと):神功皇后
- 社格等
- 神階
- 正一位
- 主な摂末社
- 大海神社
志賀神社
船玉神社
若宮八幡宮
侍者社
楠珺社
種貸社
大歳社
浅澤社
市戎社・大国社
- 鎮座地
- 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89
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- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和4年10月15日
- 地図