【神社巡り】八坂神社(京都府京都市東山区)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
「大将軍八神社」を出た私は、次の神社を求めてバスに乗ります。
次の目的地は「八坂神社」。京都祇園の一角に鎮座する神社というイメージはありましたが、実際に参拝するのは初めてなので楽しみでした。
かの有名な鴨川の四条大橋を渡るとそこはもう祇園です。
京都の中心地といった今時な雰囲気と、多くの人が行き交う姿に圧倒されたのを覚えています。
そして時はコロナ全盛だったのですが、時期的に大学生の卒業旅行を思わせる若い人々が多くいました。
「花見小路」に寄り道して祇園の雰囲気を感じつつ、「八坂神社」に向います。
今回の京都旅は、けっこう行きたい所が盛りだくさんなので、比較的サラッと参っていますが、できれば八坂神社と祇園界隈だけでゆっくり散策したいですね。
参拝の後、御朱印を頂きました。
折角なので帰りに「辻利」で建仁寺で出されているという高級なお茶をお土産に帰りました。
ちなみに私の父が「つじとし」と読んでいました。
祇園を後にした私は、最後の目的地へ向うため「祇園四条」から京阪線に乗り込みます。
八坂神社の御由緒
八坂神社の創建については2つの説が伝わっています。
一つめは斉明天皇2年(656年)、高麗より派遣された伊利之(いりし)が、新羅の牛頭山に座した素戔嗚尊をこの地に奉斎したというものです。
二つめは貞観18年(876年)、僧侶の円如(えんにょ)がこの地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる、というものです。
当初は「祇園社」あるいは「祇園感神院」と称していましたが、元慶元年(877年)、疫病が流行した際、祇園社に祈りが捧げられたことで流行が止み、これが祇園社の発展の契機となります。
神仏習合の影響で、主祭神の素戔嗚尊(すさのをのみこと)は、祇園精舎の守護神である「牛頭天王」と習合され、同様に本地仏の薬師如来として信仰され、祇園社へ疫病防除の信仰は「祇園信仰」となりました。
平安時代以降、天皇や藤原氏、平清盛、源頼朝、足利家、豊臣秀吉、徳川家などから社領のほか寄進を受けています。
慶応4年・明治元年(1868年)、神仏分離令により「八坂神社」に改称され、仏教的な要素が排除されました。
その後、令和2年(2020年)には本殿が国宝に指定され、同様に26棟の建造物が重要文化財に指定されています。
平安時代からの歴史を持つ「祇園祭」は八坂神社の祭礼で、もともとは疫病の流行を鎮める祭りを起源としています。
現在では日本三大祭の一つにあげられています。
八坂神社の御朱印
八坂神社の御朱印
八坂神社の概要
- 神社名
- 八坂神社
- 主な御祭神
中御座素戔嗚尊(すさのをのみこと)三貴子の一柱で天照大御神の弟。八岐大蛇の退治をはじめとする出雲神話の始祖とされる
東御座櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)八岐大蛇の生贄になるところを素盞嗚尊に救われ妃神となる
西御座八柱御子神(やはしらのみこがみ)素戔嗚尊の御子神の八柱
・八島篠見神
・五十猛神
・大年神
・大屋比売神
・抓津比売神
・宇迦之御魂神
・大屋毘古神
・須勢理毘売命
- 社格等
- 主な摂末社
- 悪王子社
疫神社
美御前社
大国主社
日吉社
刃物神社
厳島社
太田社
北向蛭子社 ほか
- 鎮座地
- 京都府京都市東山区祇園町北側625
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- 御朱印を頂ける場所
- 同敷地内社務所
- 参拝日
- 令和3年3月10日
- 地図