【神社巡り】東雲神社(愛媛県松山市)

目次

曖昧な記憶で参拝を振り返る

令和2年2月17日の参拝

愛媛県松山市の中心部に大街道という場所があります。
松山城が近くにあり、さながら昔からの中心街といった雰囲気の町です。

仕事で松山市を訪れ、昼過ぎに仕事は完了。

時間に余裕があるのでいつもなら近くの神社を探すのですが、真冬の2月でこの冬一番の冷え込み、あまりの寒さに今回はすぐに帰ろうと思っていました。

ちょうどお昼どきだったので、近くでランチを食べてから帰ろうと思い付近を徘徊。

松山城がある城山公園近くの繁華街を物色しながら「あれでもない、これでもない」とお店を決めきれず歩を進めていると、「東雲神社(しののめじんじゃ)」と書かれた社号標を発見してしまいました。

東雲神社 東雲神社

結局、神社を見つけてしまった。
見つけた以上は参拝せずにはいられませんでした。

「東雲神社」は城山公園のふもとにあります。

東雲神社
初代伊予松山藩主、加藤嘉明公の像。城山公園前の通りにあります

参拝に関しては正直、あまり記憶が残っていません。
というのも、当日あまりにも寒かったのと、ご飯を食べていなかったので空腹感が勝りました。

けっこう階段が多いな、という印象だけが残っています。

東雲神社
東雲神社の拝殿

境内には誰もいませんでしたし、御朱印はどうやら正月の三が日のみ配布しているようです。

東雲神社
社務所にはこのような案内が貼られていました

参拝を済ませた後は付近のお食事処でご飯を食べて広島に戻りました。

東雲神社
うどん食べて帰りました

東雲神社の御由緒

文政6年(1823年)、松山藩11代藩主「松平定通(まつだいらさだみち)」が、藩祖の「松平定勝(まつだいらさだかつ)」(徳川家康の異父同母弟)の神霊を祀るため松山城山揚木戸に仮宮を造営したのが起源となります。

天保11年(1840年)、12代藩主「定穀」の代に「東雲大明神」の神号が授与され、松山城山長者ケ丘に社殿を造営しました。

明治13年(1880年)に「東雲神社」に改称しますが、昭和20年(1945年)の松山空襲により社殿など多くの建物が焼失しました。

昭和46年(1971年)、伊勢神宮の分社である「松山大神宮」を社殿跡地に御奉遷し、昭和48年(1973年)に社殿が完成。「松山大神宮」と「東雲神社」の神霊が合祀奉斎されました。

御祭神の「菅原道真公」は藩祖久松家の祖先神、「天穂日命」は菅原氏の祖神とされています。また、「息長福玉命」は松平定勝、「奇足玉命」は松平定通に付けられた神号だそうです。

東雲神社の概要

神社名
東雲神社
主な御祭神

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)天皇の祖(皇祖神)とされる、太陽の神様

豊受大神(とようけのおおかみ)食物や穀物を司る神様で、伊勢神宮(外宮)にも祀られている

天穂日命(あめのほひのみこと)須佐之男命が誓約をしたときに生まれた神様。菅原氏の始祖とされる

菅原道真公(すがわらのみちざねこう)平安時代の貴族。死後「天満大自在天神(天神さん)」と称され、学問の神様として全国の天満宮で祀られている

息長福玉命(おきながふくたまのみこと)松山藩祖である松平定勝の神号。徳川家康の異父弟

奇足玉命(くしたるたまのみこと)伊予松山藩11代藩主で松山藩中興の祖とされる松平定通の神号

社格等
近代社格 
県社
鎮座地
愛媛県松山市丸之内73-1
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御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所(ただし正月3が日のみの配布)
参拝日
令和2年2月17日
地図

駐車場について

参拝者用駐車場の有無は不明ですが、付近に松山城観光用のパーキングがあります。