【神社巡り】安神社(広島県広島市安佐南区)
目次
曖昧な記憶で参拝を振り返る
令和5年12月28日の参拝
仕事で近くを訪れたので、仕事帰りに「安神社(やすじんじゃ)」に参拝しました。
「安神社」は安佐南区祇園の旧街道沿いに鎮座しています。
古くは「祇園社」と称していたそうで、「祇園」という地名はここから来ているようです。
「祇園社」の名前のとおり御祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」ほかの神々をお祀りしています。
拝殿にて参拝。当日は無人でしたので御朱印は頂けていません。御朱印を頂けるのかどうかもよく分かりませんでした。
本殿参拝の後は境内を散策。境内社の社殿には「神明神社」と書かれてありました。
境内には「祇園坊柿」の木もありました。名前はたまに聞くのですが、どういった柿なのかは知りませんでした。
「祇園坊柿」は広島原産の柿の稀少品種で、説明書きによると寛文年間(1661年)以前に「祇園社」で最初に植えられたそうです。
柿の実が僧侶の頭に似ているから「祇園坊柿」という名前が付いたそうです(「祇園(社)」の「坊(さん)」の「柿」というところでしょうか)。
参拝を終え、仕事に戻りました。
安神社の御由緒
貞観11年(869年)、第56代 清和天皇の勅宣により国家鎮護を祈願する神社として銀山(現在の安佐南区「武田山」のふもとの松尾山)に「祇園社」が創建されます。
未確認ですが、当時は天変地異や疫病が流行しており、勅宣により全国的に「祇園社(現在の八坂神社)」が勧請されたという背景もありそうです。
正安元年(1299年)、桜尾城主「平員家(たいらのかずいえ)」が銀山城を侵攻した際に社殿など一切を焼失(桜尾城跡は現在の廿日市市桜尾本町「桂公園」)。
この日はちょうど例祭中で、神輿は御旅所に幸行中だったため焼失を免れたそうです。
嘉元年間(1303~1306年)に銀山城主の武田氏により現在地に本殿が再建されました。また、戦国時代には毛利氏、江戸時代には藩主の福島氏や浅野氏により修築や再建等が行われたそうです。
明治2年(1869年)「安神社」に改称、明治6年(1875年)には郷社に列格しました。
明治43年(1910年)に火災により社殿などが焼失しますが、御神体は焼失を免れます。
大正2年(1913年)に再建され現在に至ります。
安神社の概要
- 神社名
- 安神社
- 主な御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと) 稲田姫命(いなだひめのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 社格等
- 主な摂末社
- 神明神社
- 鎮座地
- 広島県広島市安佐南区祇園2-21-3
- GoogleMapで開く
- 御朱印を頂ける場所
- 不明
- 参拝日
- 令和5年12月28日
- 地図
駐車場について
参拝者用の無料駐車場があります。