和霊神社(愛媛県宇和島市)

曖昧な記憶で参拝を振り返る

仕事で愛媛県宇和島市を訪れた際に参拝。

仕事で広島から宇和島まで2,3度行った事があるのですが(なんだったら愛南町まで行った)、だいたい移動時間が5時間くらいはかかるので、行ったからには何かしらして帰りたいと思って参拝しています。

たぶん宇和島の有名な神社をインターネットで調べて「和霊神社(われいじんじゃ)」が出てきたので参拝しています。

ただし和霊神社の記憶はほとんど無く(写真も残っていない)、何かの気の迷いで和霊神社の近くにある「凸凹神堂」という施設を見学してしまい、その時の記憶ばかり残っています。

写真が撮れなかったのでGoogleストリートビューでご案内。

凸と凹です。つまりはそういう事です。いわゆる秘宝館みたいな所です。

何故ここを訪れようと思ったのか記憶はありませんが、たぶん宇和島市で神社を探している時に凸凹神堂の隣が「多賀神社」なので一緒に出てきたのだと思います。

凸凹神堂はアレな施設なのですが、多賀神社もなかなかアレな神社です(まぁ神社って大小アレな要素を持っているのですが、詳しくは自己責任でググってみて下さい)。

多賀神社は圧倒されてちょっと写真が撮れなかったのですが、施設内の写真はもっと撮れません。なぜなら写真撮影は厳禁で、罰金が2万だか3万だか、そんな事が書かれていました。

「逆に罰金払ったら心置きなく写真撮らせてくれるのかな?」とも思いましたが、そんな事で揉めるのもナンセンス。

とにかく古今東西色々な性に関する資料を見学するのです。

途中「歓喜天(かんぎてん)」というインドの象の神様が仏教に取り入れられた神様が展示されている(象頭の男神と女神が抱き合っているような像)のですが、これはゲーム「女神転生」に出てきたので個人的にテンションが上がりました(写真撮影厳禁なので写真はありません)。

とはいえ流石にもう施設の中身はあんまり覚えていないですね~。何年も前の事ですし。

我ながらよく入ったと思います。しかも一人で。

凸凹神堂について紹介しているWEBサイトはたくさんあるので気になる方はググってみて下さい。

和霊神社の御由緒

御祭神の「山家清兵衛公頼公(やんべせいべえきんよりのみこと)」は、宇和島藩祖伊達秀宗(伊達政宗の息子)の筆頭家老に当たります。

当時、戦乱や悪政により疲弊困憊していた宇和島で、清兵衛公は藩主を補佐し藩政が大いに改善したことで生き神とも称されていました。

しかし、清兵衛公を疎ましく思った一部の藩士から反感を買い、兇刃に倒れ無念の死を遂げてしまいます。

清兵衛公の死後、清兵衛公の政敵たちが海難事故や落雷によって相次いで死亡したり、飢饉や台風、大地震などが相次いだため、承応2年(1653年)に「山頼和霊神社」を建立。

その後、享保16年(1731年)、清兵衛公邸跡に和霊神社を創建し、享保20年(1735年)に現在地に遷座されました。

昭和20年(1945年)に空襲で焼失してしまいますが、昭和32年(1957年)に再建されました。

和霊神社の御朱印

和霊神社の御朱印

和霊神社の御朱印

和霊神社の概要

神社名
和霊神社
主な御祭神
山家清兵衛公頼公(やんべせいべえきんよりのみこと)
社格等
近代社格 
県社
現在の分類
神社本庁(別表神社)
鎮座地
愛媛県宇和島市和霊町1451
GoogleMapで開く
駐車場の有無
有(無料)
御朱印を頂ける場所
同敷地内社務所
参拝日
平成28年10月13日
地図